こんにちは、自他共に認める小心者のナホです。
そんな私にとって、勇気ある強い人の代名詞のようなカエサルは、まさに憧れの人。軍人としてだけではなく、すぐれた思想で文筆家としてもグローバルにも評価された彼の素顔に迫ります。
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こんにちは、自他共に認める小心者のナホです。
そんな私にとって、勇気ある強い人の代名詞のようなカエサルは、まさに憧れの人。軍人としてだけではなく、すぐれた思想で文筆家としてもグローバルにも評価された彼の素顔に迫ります。
ユリウス・カエサルは共和政ローマで活躍した軍人です。当時のカエサルはローマで絶大な影響力をもち、暦にもその名が用いられるほど(ユリウス暦)。
英語では「ジュリアス・シーザー」と呼ばれ、「カエサル」を語源にドイツ語の「カイザー」、ロシア語の「ツァーリ」といった皇帝の称号が作られるなど、その勢いはローマ以外の国にも及びました。
貴族ではあるものの、裕福ではない家に生まれたカエサル。頭髪は薄くえらが張った輪郭で、けっして美男とは言えない顔立ちだったそうです。 しかし幼い頃から利発で弁が立ち、勇気と行動力があった彼は、女性にも人気だったのだとか。それを裏付けるかのように、生涯で数多くの妻をもうけています。
彼が一躍有名になったのは、紀元前60年ごろの第1回三頭政治の頃のこと。ポンペイウス、クラッススの支持を得て執政官となり、現在のフランス、ベルギーにまで領土を広げます。
しかし3人は互いにライバル関係にあり、誰もが独裁権を得ようと画策していました。クラッススは早々に戦死したものの、ポンペイウスは当時有力だった元老院と結んで、カエサルを脅かす存在にまでなっていたのです。
これを知ったカエサルがポンペイウスを倒すため、ルビコン川を越えるときに発したのが、有名な「賽は投げられた」という言葉。彼の母国語であるラテン語では"alea iacta est(アーレア・ヤクタ・エスト)"と発音するそうです。
こうして勝者となったカエサルはローマに帰り、生涯独裁官として君臨しました。この時期に彼がそれまでの戦いを振り返って書いた『ガリア戦記』や『内乱記』などの著作は日本語にも翻訳され、文庫化までされています。
カエサルの独裁政治は反対勢力を容赦なくつぶすという圧力的なものであったため、これに不満をもつものも少なくありませんでした。
彼が長年の希望だった王の座に就く式典でも、王冠を受け取るという記念すべき場面で拍手はゼロ。その後はかわいがっていたブルータスに暗殺されるという、悲しい最期を迎えました。
栄光の裏で孤独にさいなまれていたという彼ですが、やはり後世に残した影響は絶大。英語で7月を意味する「July」は、この月に生まれた彼の名前から来ているのだそうですよ。
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