こんにちは、休日は釣りなどでよく海に行くナホです。
海に出るには設備が整った船と豊富な知識をもつ船長の存在が必須ですが、これまでの歴史の中でグローバルにも有名な船長と言えば、キャプテン・クックの愛称で知られるジェームズ・クック船長ですよね。
航海術が確立されていなかった18世紀当時、海に出るのは命がけの大仕事。危険を冒してまでクックが航海を決行したのは、なぜだったのでしょうか。彼の生い立ちにも触れながら、その秘密に迫ります。
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こんにちは、休日は釣りなどでよく海に行くナホです。
海に出るには設備が整った船と豊富な知識をもつ船長の存在が必須ですが、これまでの歴史の中でグローバルにも有名な船長と言えば、キャプテン・クックの愛称で知られるジェームズ・クック船長ですよね。
航海術が確立されていなかった18世紀当時、海に出るのは命がけの大仕事。危険を冒してまでクックが航海を決行したのは、なぜだったのでしょうか。彼の生い立ちにも触れながら、その秘密に迫ります。
誰よりも遠くに、今まで見たこともない世界を見に行きたい。生涯にわたって抱き続けたそんな強い思いが、クックを3度もの航海に駆り立てた最大の動機でした。
1728年10月27日、イギリスの小さな村マートンに生まれたクック。幼い頃から勤勉で、小作人の父を手伝って農場で働いていました。彫りの深い顔立ちにスラッとした長身で、村でも評判の好青年だったそうです。
そんなクックの将来を期待してか、17歳になったときには父はクックに商売のセンスを身に付けさせようと、町の雑貨店に奉公に出しました。 クックはそこでもやはり真面目に働き、店主からも気に入られましたが、彼自身はどこか満たされない思いを抱えていました。
仕事の合間にたびたび向かっていた港で漁師たちから聞く、海や見知らぬ土地の話。そのたびに「海に出たい」「知らない世界を見に行きたい」という思いが抑えがたく募っていったのです。
クックが海に出るチャンスは、ほどなく訪れました。店を辞めたクックに、店主が港町ウィトビーで有名な船主であるウォーカー家を紹介してくれたのです。 クックは見習いの船乗りとしてウォーカー家で3年間泊まり込みで勉強し、水兵、航海士とトントン拍子に昇進。1755年には世界に出るため、海軍に入隊します。
有名なエンデバー号による南太平洋の世界一周の航海は、金星の日面通過を観測するために命じられました。しかしそれ以外にも収穫が多く、ニュージーランドの北島と南島を分ける海峡(クック海峡)を発見したり、この付近の測量によってニューファンドランド島の地図を完成させたりしたことも、彼の大きな功績になりました。
その後もクックは1772年、1775年と立て続けに大航海を決行しました。しかし3度目に北極海を航海した際、修理と休憩のために立ち寄ったハワイ諸島で原住民たちとのトラブルに見舞われ、この地で最期を遂げます。
クックは偉大な冒険家であると同時に、船上での長期的な健康管理術を確立した人物としても知られています。当時、皮膚や歯肉からの出血から死に至る病として、船員たちの間で壊血病が蔓延していました。
壊血病の原因はビタミン不足とされていたため、クックは船員たちにビタミン豊富なザワークラウト(酢漬けにしたキャベツ)を食べるよう徹底。船員たちが健康に航海を終えられるよう、配慮を忘れませんでした。
クックが航海時に記録した航海日誌はイギリスでベストセラーになり、その後世界各国で翻訳されグローバルにも評価されるまでに。まだ見ぬ地域の実態を世界に知らしめ、さまざまな分野の発展に貢献しました。
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