こんにちは、ナホです。お湯を使うのにも部屋の電気をつけるのにも必須の電力ですが、この送電のシステムを確立したのはご存じトーマス・エジソン。
世界中で知らない人はいないというほどの発明家であるエジソンですが、実はその生涯は失敗と挫折続きで、けっして平坦なものではなかったそうなんです。
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こんにちは、ナホです。お湯を使うのにも部屋の電気をつけるのにも必須の電力ですが、この送電のシステムを確立したのはご存じトーマス・エジソン。
世界中で知らない人はいないというほどの発明家であるエジソンですが、実はその生涯は失敗と挫折続きで、けっして平坦なものではなかったそうなんです。
「発明王」の異名をもち、生涯に1,000を超す数の発明を行なったことで知られるトーマス・エジソン。蓄音機や白熱電球の実用化を手がけたほか、動画撮影機「キネトグラフ」をつくって「映画の父」とも呼ばれました。
発明家としてだけではなく経営者としても活躍し、1878年にはアメリカ随一の巨大企業であるゼネラル・エレクトリックの前身、エジソン・エレクトリック・ライト・カンパニーの社長に就任。 これをきっかけにニューヨークのコンソリデイテッド・エジソンやシカゴのコモンウエルズ・エジソンなど、アメリカ国内の電力関連会社の社名にも彼の名前がつけられました。
ちなみに名前の発音は日本では「エジソン」が一般的ですが、英語圏では英語の表記にしたがって「エディスン(edəs(ə)n)」と呼ばれるのが普通。「エジソン」では通じないこともありますので、注意してくださいね。
エジソンの名言として、もっとも有名なものは"Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration."でしょう。これは日本語に翻訳すると「天才は1%のひらめきと99%の汗」という意味になります。
この言葉どおりエジソンは「努力の人」と言われ、数々の失敗を努力を積み重ねることで成功にまで導きました。 失敗や挫折と言えるエピソードには事欠かず、幼少期には学校になじめずわずか3か月で退学。その後も自宅で行なった実験で騒動を起こしたり、発電所に納入する発電機をめぐるトラブルで設立した会社の社長の座を失ったりと、けっして平穏で順調な発明家人生を送ったわけではなかったのです。
しかしエジソンは「私は失敗したことがない。たんに、うまくいかないだろう1万の方法を見つけただけだ」と言い、これらの困難をものともせず発明を続けました。 うまく行くことばかりではなくても努力を止めなかった彼だからこそ、今に至るまで多くの人の支持を得たのかもしれませんね。
エジソンはただ逆境に負けず努力を続けたというだけでなく、1つの成功を収めてもそれに満足せず、常に新しい挑戦をし続けたチャレンジャーでもあります。
蓄音機や白熱電球の商品化で成功を収めた後の1888年にエジソンが書いたのが、5ページにもわたる英語のTo Doリスト。 リストには新規格の蓄音機や電話用のバッテリー、人工ケーブルなど電力関連のものはもちろん、「人工真珠」「雪圧縮機」と言ったユニークな発明のアイデアも記されています。
これらの中には実現したものもあれば道半ばで終わったものもありますが、エジソンの尽きない好奇心を物語る貴重な資料として知られています。
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