マルタ「海賊とスズメ」
January 30, 2020
翻訳者派遣会社が送る、世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ
未知を求めて世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ。今回は、90年代後半に訪れたマルタ共和国(地中海に浮かぶ島国)での"地図にはない景色"をお届けします。
"絵地図"を頼りに旅程を組む
旅をするのに地図は必需だ。今でこそネットで簡単に世界中の地図も航空写真も思うがままに見ることができる。が、私がマルタに行った頃−−90年代後半−−は違った。当時はマルタのガイドブックはおろか、日本語で書かれた情報すらほぼなかった。
唯一頼りだったのは、在英国マルタ政府観光局が発信するサイト情報と、島嶼学会でマルタを訪れた経験を持つ友人からもらった"絵地図"だけだった。この2つを照らし合わせ、どのような見所がどの辺りにあるのか、おおよその見当はついた。しかし、その距離感が全くわからない。なにせ頼りとする地図は、上部が半ドーム形の宝箱を抱えたタコの絵が海に描かれた、今にも海賊が出てきそうな代物だ。もちろん見所もイラストだ。
「ここと、ここと、ここも行きたい」
行きたい場所に見当をつけたはいいが、イラスト間の距離はわからず、当然、バスがあるのか、タクシーで行くしかないのか、そもそもタクシーがあるのか...、わかろうはずもなかった。距離や移動手段、所要時間がわからないということは、これらを網羅するのに何日滞在すればいいのかわからないということだ。
「主要な見所が集まるマルタ島に3日、隣接するゴゾ島に1日、予備日を入れてトータルで5日というところか」考えたところでわからないことはわからない。アバウトに見積り、あとは出たとこ勝負と乗り込むことにした。
雀たちのさえずり
首都ヴァレッタでまず向かったのはバスターミナルとなっている広場。地中海の明るい陽光と、アフリカ大陸が近いことを感じさせる乾いた風が、すべての色をより鮮やかにする。
鼻先が飛び出たまるっこいバスを彩る青色、黄土色、赤色...。そして紺色のポロシャツに半ズボンの出で立ちのバス運転手たち...。まさにビール腹体型のぽっこりお腹なのに、半ズボンからのぞく膝から下の足は鶏脚のように細い。あっちに4人、こっちに3人と固まって賑やかにおしゃべりする様子は電線に止まってさえずる雀を想起させる。
"雀たち"のおしゃべりは乗務中もやまない。運転手と乗務員が、時には乗客も交えてぺちゃくちゃと陽気に話し、バス同士がすれ違う時は、開けっ放しのドアから身を乗り出して、おしゃべりに余念がない(最近行った人の話では、今はもうドアを開けっ放しで走行しているバスはないそうだ)。
地図にはない景色
世界遺産にもなっているヴァレッタの旧市街、昔ながらのマルタのカラフルな舟が浮かぶ漁村、ゴゾ島の中世教会...。バスを最大限に活用し、さまざまなところに足を伸ばした。海賊船にこそ遭わなかったが、名物料理とされるタコも食べた。もう1日、海でのんびり過ごす日があってもよかったと、少しの未練もあるが、5日間の滞在で"絵地図"に描かれた見所はほぼ制覇できたと思う。
訪れた地はどこも思い出深く、エピソードも尽きないのだが、「一番印象に残っているのは?」と問われれば、あのバスターミナルでの光景が去来する。それは"絵地図"には描かれなかった、朝に夕に、日を浴びて、ぴーちくぱーちくとおしゃべりに勤しむ"雀たち"の姿だ。
旅をするのに、事前情報や地図は重要だ。あったほうがいいのは間違いない。その上でなお、「情報として言語化されず、地図には描かれない景色」に触れることこそ、旅の醍醐味と言える。地図の先にはどんな景色が待っているのか...、旅の虫が騒ぐのは止められそうもない。