"語学ができる人"と"有能・経験豊富な人"、どちらを採るの?
June 11, 2019
"語学が達者"とはその国を理解していること
「英語ができるけど仕事ができない人」と、「仕事ができるけど英語ができない人」のどちらが本当に会社の役に立っているのか? どちらが出世するのか?
若かりしころ、究極の選択肢で「議論のための議論」をしていたことがあります。
「帰国子女だけど仕事ができない人」が、本社や本社から来た外国人上司に受けがいいのを見ると、「英語は下手だけど会社を支えているのは俺たちだ」と思っているグループにとっては納得がいきません。英語力を武器に職を転々とする人に対しては、「あいつは外資系ジゴロだから」と相手にしません。
日本の通常の教育だけを受けて英語を勉強した者にとって、英語力(特に会話力)は鬼門です。そういう中、「話せる中味を持っていたら、拙い英語でも聞いてもらえるし、説得力もある」という先輩の言葉には、納得できるものがありました。
アメリカに留学して英語を話すことが少々うまくなって、最初はその上達に喜んでいても、やっぱり「話せる中味」があるかどうかがネックになりました。そんな経験から、「あぁ、昔、先輩に言われたことは本当だったなぁ」と思いました。
ビジネスを学びにいったはずが、日本の文化の紹介やアメリカの文化の理解に範囲が広がっていきます。ビジネスも最後は、全人格をかけて日本を理解してもらい、相手の国を理解することに行き着きます。これはIdentityの勝負で、ますます「話せる中味」を持つことが大切になります。
ただ、そうなってくると、「語学が達者」ということは、言葉を通して、ましてやその国に長く住んでいたのであれば、その生活を通して、その国の考え方、感じ方をより理解しているということなんだなぁと感じるようになりました。
それは、中国で仕事をしていた時に痛感しました。
ミュニケーションこそが信頼関係を築く
当時、わたしたちは、「日本語を話せるが経験のない中国人の営業」を採用するのか、「経験豊富だけど中国語しか話せない中国人の営業」を採用するのか悩み、「言葉だけできてもしようがないだろう」と、後者を積極的に採用することにしました(まるで、若かりしころの議論のようでした)。が、残念なことにその人は、「中国語しか話せず、かつ、売り上げも上がらない人」に変わってしまいました。
言葉が全く話せないということは、異なる文化・異なる考え方を持つわたしたちとの溝を埋める手段を全く持たないということに等しかったのです。
営業は顧客と自社の接点を見つける仕事です。社内に対しても営業活動を行わなければ、顧客に対して魅力的な取引を提案できません。申し訳なかったのですが、当時のわたしたちには、通訳を介しても、彼が言わんとすること、しようとしていることを理解できずに、彼の希望をかなえてあげることがなかなかできませんでした。彼は彼で、わたしたちを説得するうまい方法を全く考え付かずに、いらいらしていました。お互い不幸でした。
とにかく、基本的なコミュニケーションがとれないと信頼関係も構築できず、事が進みません。結果、「日本語を話せる経験のない営業」の方が、営業成績が良かったのです。
IBMの椎名元会長が「Sell IBM in Japan, Sell Japan in IBM」とよく言っていましたが、まさしくそのとおりですね。
現在、わたしは、的確で効果的で効率的な「ビジネスコミュニケーション」を提供する仕事を本業としています。翻訳の仕事、特に通訳の仕事を引き受けると、このことを思い出します。訳さなければいけないのは言葉なのか、越えなければいけないハードルは何かをよく考えさせられるのです。
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