こんにちは、家の近くにある小さな教会がお気に入りのナホです。
日本にキリスト教を伝えた人物であるフランシスコ・ザビエルですが、彼がどんな経緯でキリスト教と出会い日本にやってきたのかは、知らない人も多いのではないでしょうか。
生涯を布教に捧げた彼の、知られざる素顔に迫ってみました。
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こんにちは、家の近くにある小さな教会がお気に入りのナホです。
日本にキリスト教を伝えた人物であるフランシスコ・ザビエルですが、彼がどんな経緯でキリスト教と出会い日本にやってきたのかは、知らない人も多いのではないでしょうか。
生涯を布教に捧げた彼の、知られざる素顔に迫ってみました。
ザビエルは1506年、スペインの貴族の家庭に生まれました。現在浸透している「ザビエル」という呼び名はイタリア語の「ザベリオ」から来たもので、母国語であるスペイン語の発音は「ハビエル」。彼が生まれたスペイン北部の地名から取ったものとされています。
ザビエルは5人兄弟の末っ子でしたが、6歳の頃には父親を亡くし、兄弟も早くに独立して家を出て行ったため、孤独な日々を送っていたのだそう。パリ大学に進学後は、持ち前の思慮深い性格から哲学の勉強に没頭し、そこで彼の運命を変える人物であるイグナチオ・デ・ロヨラに出会います。
世俗から離れ自己犠牲的な生き方を徹底するロヨラに感化され、ザビエルは聖職者を志すようになります。ロヨラとザビエルは5人の仲間とともに神に生涯を捧げるという誓いを立て、1534年にイエズス会を設立するのです。
イエズス会はカトリック国家であったポルトガル国王の命令によって、キリスト教の世界布教を目指しますが、それにしてもザビエルはなぜ、スペインから遠く離れた小国である日本まで来たのでしょうか。
ポルトガル国王は当初、植民地のインドにザビエルを派遣しました。彼はそこで「ヤジロウ」という日本人の男性と出会います。ヤジロウから話を聞いたザビエルは日本でも布教をしたいと思い、インドの後に立ち寄ることを決めたのです。
ヤジロウとともにインドを出たザビエルが上陸したのは、現在の鹿児島県でした。そこから京都に行き、この地を拠点にして布教を行う予定でしたが天皇の許可が降りず、予定を変更して山口県に向かいます。 当時の有力者だった大内義隆に保護されたこともあって山口での布教は順調に進み、700名もの人々に洗礼を授けたそうです。
ザビエルと言えば、頭のてっぺんが禿げ上がったような独特のヘアスタイルで知られています。しかしこれは日本の絵師が想像して描いたもので、実際のザビエルの頭髪は豊かだったという説もあるのです。
このヘアスタイルは薄毛ではなく、カトリック教会の修道士の伝統的な髪型である「トンスラ」なのだそう。イエス・キリストが磔の刑に処せられたときかぶせられたいばらの冠を模して、頭髪をハチマキのように剃り残すことが習慣だったのです。
日本で浸透しているザビエルの肖像画は頭頂部のみを剃り落としており、本来のトンスラとは違っているばかりか、ザビエルが所属していたイエズス会にはそもそもトンスラの習慣がなかったのだとか。絵師のミスでまったく違った髪型のイメージがついてしまったのだとしたら、ちょっとかわいそうな気もしますね。
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