こんにちは、最近花粉症がひどくて久しぶりに病院に行ったナホです。
日本の歴史上で有名な医者と言えば、19世紀に活躍したドイツ人医師・シーボルトですよね。遠く離れたドイツから、彼はなぜ日本にやってきたのでしょうか。その功績と生涯について、調べてみました。
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こんにちは、最近花粉症がひどくて久しぶりに病院に行ったナホです。
日本の歴史上で有名な医者と言えば、19世紀に活躍したドイツ人医師・シーボルトですよね。遠く離れたドイツから、彼はなぜ日本にやってきたのでしょうか。その功績と生涯について、調べてみました。
シーボルトの本名は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト。ドイツ語で「フォン」は貴族階級のみつけることを許されるもので、彼の一家は祖父、父ともに医師と、医学界の名家として知られていました。
ドイツ語では"Siebold"と書く名前は、実は現地の発音では「ズィーボルト」に近いのだそう。しかし日本では、ドイツ語の中でも「s」が濁らない南部の発音が採用され、「シーボルト」と呼ばれているのです。
ドイツの大学を卒業して医師として開業したシーボルトでしたが、自然科学への関心も強かった彼は、そちらの研究や調査をしたいという思いも捨てきれずにいました。 そんなさなかの1823年、シーボルトは日本にあるオランダ商館の医師に任命され、突如来日することになったのです。当時の日本はまだ、国土や文化の調査という点では未開の地。彼にとってこの任命は、またとないチャンスだったのです。
シーボルトが降り立ったのは、長崎県の出島。彼はここで開業したのち、出島外に「鳴滝塾」という塾を開設し、日本各地から集まった若い医師に西洋医学を教えました。
その一方で、彼は当初の目的であった日本の国土研究を忘れることはありませんでした。塾生に講義をしながらも、課題と称して彼らから日本の歴史や文化、風俗について聞き出していたそうです。
シーボルトはもともとドイツ人ですが、日本にやってきたのはあくまでも「オランダ商館の医師」という名目の下でのこと。大っぴらにドイツ語を話せなかったため、不慣れなオランダ語を話しては「高地オランダの出身なのでなまりがあるんだ」などとごまかしていたそうです。
シーボルトは日本にいた10年ほどの間に、日本人の「お滝」という女性と結ばれ、子どもにも恵まれています。当初は「お滝さん」を「オタクサ」と聞き間違え、アジサイの花に「ハイドランゲア・オタクサ」という名前をつけていたのだとか。
このようにシーボルトは日本の植物研究にも余念がなく、押し葉標本を1万2,000点も制作しました。これを元に仲間たちとまとめた『日本植物誌』はグローバルにも有名で、このときに彼らが命名した種は現在でもその名が使われています。
サクラソウの"Primula sieboldii"やスダジイの"Castanopsis sieboldii"など、学名に"sieboldii"のついたものがその目印だと言われています。
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