英語人格、中国語人格、ドイツ語人格、そして日本語人格
May 21, 2019
話す言葉で変わる人格
話す言葉で人格が変わった経験はお持ちでしょうか?
自分で言うのもなんですが、英語を話しているわたしは「チキン(臆病者の意)」です。
英語を一番使ったのは、ビジネススクールに留学していたころなので、「勉強と学校生活になじむのに必死な生徒」というシチュエーションで使っていました。級友の発表が変に聞こえても、それは「わたしの英語力のせいではなかろうか?」と自信がなかったり、皆が笑っていることで初めてジョークに気づいたりという経験を踏むうちに、いつも周りをきょろきょろ見回しながら、取り残されないようにすることが身についてしまったのかもしれません。
中国語を話すわたしは、「絶対に騙されないぞ」とけんか腰になります。中国に2年ほど住んでいた際に、外国人ならではの高い買い物をしてしまったり、日本でのサービスレベルを求めて文句を言ったりすることが多かったので、とかく対立姿勢になりがちなのです。
ドイツ語を話す時は(と言っても、今やまったく話せないのですが)、趣味で勉強していただけなので、いつも大らかな気持ちになります。通じれば嬉しいし、通じなくてもさして不都合は生じず、「なんなら英語があるさ」という気持ちです。
さて、日本語を話す時、わたしはどんな人格なんでしょう??
言葉は国の人格を象徴する
「人格」は英語で言うと、「personality」または「character」と言います。今回のテーマを英語で言えば、「one's personality can change depending on the language one speaks」(話す言語によって人格が変わることがあります)または、「the language one speaks can influence one's personality」(話す言語が人格に影響を及ぼす)となります。考えてみれば、それぞれの言語は国々の長い歴史と文化を背負ってきているため、言語自体がその国の人の人格を象徴していると言っても決して大げさではなさそうです。
同じ英語でも、イギリス英語で話すとややフォーマルで皮肉的になり、アメリカ英語で話すとカジュアルでストレートに表現するようになるのでしょうか?さらに、日本語で言えば、標準語で話すとドライで論理的になり、関西弁で話すと漫才のように面白く情が厚く聞こえるのでしょうか?言葉と人格の関係、こうやって考えると興味が尽きません。
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