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芸術界きってのファッショニスタ!? 耽美・退廃文学の名手 オスカー・ワイルド

2017-06-08 10:16
芸術界きってのファッショニスタ!? 耽美・退廃文学の名手 オスカー・ワイルド

こんにちは、春になって洋服を新調したナホです。

芸術界きってのファッショニスタと言えば、19世紀に活躍した作家のオスカー・ワイルドです。

長髪にスーツ、マントにハットという格好でロンドンの社交界で有名になったワイルドですが、その美的感覚は彼の作る作品や私生活にも多大な影響を与えていたと言われているのです。

幼い頃からあらわれていた才能の片鱗

"It is only shallow people who do not judge by appearances.(外見で人を判断しないのは愚か者である)"

英語でこんな名言を遺したワイルドは、みずからのセンスに絶対的な自信をもっていました。医師の父と作家の母の間に生まれ、幼少期は豊かな生活を送っていたそうです。娘をほしがっていた母は、ワイルドに女の子用の洋服を着せることもあったのだとか。

幼い頃から聡明だったワイルドは、アイルランドの王立学校では古典語の賞を受けたり、大学進学に際しては奨学金を獲得するほどに、周囲からその才能を認められていました。やがて彼はオックスフォード大学を主席で卒業し、『サロメ』『ドリアン・グレイの肖像』をはじめとする文学作品をさかんに発表するようになります。

日本でも知られる童話『幸福な王子』も、実はワイルドが著したもの。彼の作品は世界各国語に翻訳され、日本でも森鴎外や谷崎潤一郎などの作家たちが影響を受けたとされています。

私生活では苦難の日々を送ったワイルド

作家としての才能を認められながらも、ワイルドには同性愛の嗜好があり、困難が多い生涯を送りました。

現在とは違い、当時はまだ同性愛が公に認められていない時代。特に16歳年下の文筆家であったアルフレッド・ダグラス卿と交際していたときには、父親であるクイーンズベリー侯爵から訴えられて投獄されるなど、苦難の日々が続きました。

しかし32歳のときに知り合ったロバート・ロスとは固い絆で結ばれ、服役を終えてワイルドがふたたび世間に出てきてから亡くなるまで、彼を献身的に支えたと言われています。 晩年は健康状態も思わしくなく、悩みの多い日々を送っていたというワイルド。すでに家族とも死別していた彼には頼るあてもありませんでしたが、ロスには頻繁に手紙を送り、心のうちを明かしていたのだそうです。

『サロメ』がフランス語で書かれた意外な理由

ワイルドはイギリス国籍なので、作品を書くときは基本的に英語を使っていました。しかし1891年の『サロメ』だけは、フランス語で書かれています。 これについて一説には、フランスの舞台女優サラ・ベルナールの熱狂的なファンであったワイルドが、英語が話せない彼女にどうしても演じてほしかったためではないかと言われています。

『サロメ』はその後交際相手だったアルフレッド・ダグラス卿によって英語に翻訳され、日本では翻訳者の福田恒存によって日本語に翻訳されました。

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