シックス・アパートが展開するプラットフォームビジネスを聞く
Webサイトの構築・運用を効率化し、利便性を高めるCMS(Contents Management System)。私たちアークコミュニケーションズはその価値にいち早く注目し、CMSの創生期である8年前からCMS構築を開始、すでに多くの導入実績を有しています。このCMSにおいてデファクトスタンダードといえるのがシックス・アパート株式会社のMovable Type(MT)。アークコミュニケーションズはシックス・アパートのパートナー企業であり、MTの導入を積極的に推進しています。
シックス・アパートとアークコミュニケーションズには、浅からぬご縁があります。代表同士が同窓生であり、いずれも就職後に渡米してMBAを取得し、『企業ブログ戦略 利益を生み出す双方向コミュニケーションの実践』(2006年ダイヤモンド社発行)では監修と翻訳を担当したという仲。そしてシックス・アパートの英語サイト構築や、MTの中国語ローカライズをアークコミュニケーションズが担当するなど...。
今回は、そんなシックス・アパート株式会社の代表取締役CEOである関信浩様に、これまでのビジネスや今後の展開についてお話を伺いました。
理系から雑誌記者、そしてMBA...
大里:関さんはシックス・アパート株式会社の日本法人を立ち上げる前、出版社で記者として働かれていたんですよね。東京大学工学部では金属工学を学んでいたのに、なぜ技術者や研究者ではなく、記者として働くということを選んだのですか。
関様:就職活動を進めていく中で、色々な人と会って話ができるというところに面白みを感じたからですね。自分の知識欲を満たせるというのも、出版社の魅力でした。
大里:私は企業に入ったあと自費でアメリカのビジネススクールに留学してMBAを取得したんですが、関さんも就職したあと渡米されたんですよね?やっぱり留学するぞ!って退職して行かれたんですか?
関様:最初はそのつもりで上司に「アメリカで経営学を学びたいんで退職します」と話したんですが、「退職じゃなくて帰国したら戻ればいいじゃないか」ってことで、休職扱いで行ったんですよ。
大里:それはうらやましい...。でも理系から出版社で記者になり、今度は経営学ですか(笑)
関様:入社したのは1994年だったんですが、インターネットの普及前でもあり、編集会議でもインターネットを話題にするのは私一人でした。それでもインターネットに未来を感じたので、しつこくそのことを言い続けた結果、「そこまで言うなら書いてみろ」と、記事にすることを許してもらったんです。
それでインターネットやそれにまつわるソフトウェアについて長らく取材を続けることになるんですが、インターネット業界がビジネスとして確立してくると、だんだんIPO(Initial Public Offering:新規株式公開)や株価についての話題が増えてきました。特にスタートアップ企業のCEOなどにインタビューすると、ひたすらIPOの話だけ。記者として必要な知識くらいは持ちあわせていたんですが、起業や財務のロジックに興味が湧いてきて、だったら本場のアメリカに行くべきだろうなと考えて、アメリカのビジネススクールを受けたんです。
理系でありつつ、コンテンツもわかるシックス・アパート日本法人の設立に参加
大里:シックス・アパートの日本法人には、どういった経緯で関わることになったのですか。
関様:ビジネススクールを卒業してから元の出版社に戻って新規事業開発などを行った後、アメリカ帰りのキャリアを買われてあちらの雑誌を日本向けにローカライズして出版するというプロジェクトにアサインされました。ただ、そのプロジェクトが途中で中止になってしまい、いわば社内失業のような状態になりかけたんです。そのとき、ベンチャーキャピタルファームであるネオテニーの伊藤穰一さんから、シックス・アパートの日本法人をやらないかと声を掛けられました。
大里:設立したばかりのスタートアップ企業の日本法人を立ち上げるというのは、勇気がいる決断だったのではないかと思います。シックス・アパートのビジネスのどういったところに魅力を感じたのでしょうか。
関様:インターネットが普及し始めたばかりの頃は、Webサイトもシンプルな作りで、誰でも分かる触れられるものだったと思います。それが徐々に高度化していった結果、一般の人では分からない世界になりつつあったんですね。そのときブログが出てきて、Webブラウザで単に情報を参照するだけではなく、一般の人が情報を発信できるようになりはじめた。そんな時のお誘いだったので、それまでの傍観者から自分でビジネスを動かす主体になるのもいいなぁと思ったわけです。伊藤さんからも「理工系でシステムが分かって記者でコンテンツを知ってるんだから、あなたがやるべきビジネスだ」といわれて、背中を押されましたし。
大里:当時のシックス・アパートはどういった状況だったのでしょうか。
関様:私が携わり始めた時期は本当に小規模で、シックス・アパートを立ち上げたベン・トロットとミナ・トロット夫妻のほかは、社員が3人ぐらいしかいませんでしたよ。すでにMovable Typeはありましたが、それ以外には何もないというような状況です。それならやりがいの大きさに比べてリスクも大きくないから逆にいいかな、という思いもありましたね。
シックス・アパートはプラットフォームビジネスに注力
大里:あの頃、ブログというムーブメントが発生しているのを見て「やっぱりアメリカってすごいな」と感じましたね。でも、アメリカのものを日本に取り入れる、という発想だけではビジネスとしてまったく通用しないという側面もありますよね。
関様:そうですね。何かを起こすならやっぱりアメリカ。最近は市場として中国をはじめとするアジアが注目されていますけど、それでもアメリカに関わっていないと、というのは変わりませんね。ただ、実際にビジネスとなるとおっしゃるとおりとても難しかったです。当時、「ブログがテレビ、新聞に続く第3のメディアになる」と言われていて、実際にアメリカでは既存のジャーナリズムや権力に対抗するツールとしてブログが大きな役割を果たしていました。それによって広告ビジネスが成り立ったという背景があります。しかし日本では、そもそも広告ビジネスを成り立たせるには読者の絶対数が少ないんです。
単純にGDPだけでアメリカと日本を比較すれば3倍程度ですが、英語人口と日本語人口での比較となると10倍、あるいは15倍の差があります。さらに広告ビジネスとなると20倍、30倍とさらに差は広がりますから、広告ビジネスだけで日本市場を考えると絶対に儲からないというわけです。
大里:それでプラットフォームビジネスに注力されたというわけですね。
関様:そのとおりです。Movable Typeを単にブログツールとしてではなく、CMSとして使っていただく、あるいはコンシューマ向けにブログサービスを展開している企業にプラットフォームとして提供するといった形でビジネスを展開していったわけです。
大里:2011年1月に、Movable Typeに関するすべての権利とSix Apartブランドを米Six Apart, Ltdからシックス・アパート日本法人が譲渡を受けたとのことですが、これにはどういった背景があったのでしょうか。
関様:先ほどお話したように、アメリカでは広告ビジネスが成り立ちましたが、一方でプラットフォームビジネスは大きく伸びませんでした。日本はその逆で、プラットフォームビジネスが主軸となります。つまりビジネス構造が日米で乖離している状態だったわけです。そのため、何らかの投資を行うといった際に、いつもコンフリクトするような状況が続きました。そこで事業構造の差を解消するために、会社を事実上スプリットしたというわけです。
大里:それぞれの市場に合わせて、ビジネスを展開しやすいようにということですね。
関様:そうです。アメリカはビジネスとして可能性が大きいメディア展開に注力します。日本はプラットフォーム部門を引き取り、従来のビジネスを拡大・発展していきます。ただ、一緒にできるビジネスはお互いにやりくりしながらやっていこうという話もしていますので、今後も協力関係は継続していきます。
佐藤:アメリカでのプラットフォームビジネスはどうされるのですか?
関様:今後はアメリカ市場向けにも、日本のシックス・アパートが展開していきます。ただ、アメリカではソフトウェアパッケージを販売するというビジネスはほとんど成り立たない状況になっているので、別の流通形態を検討することになると思います。
対談記事 記事一覧