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前回に引き続き、今回もアメリカ建国当時の米語についてご紹介します。
ベンジャミン・フランクリンは政治家であると同時に発明家としても知られていました。彼は当時、英語のスペリングの成り立ちがあまりに統制が取れていないことに危機感を覚え、論文を発表することでその是正を世に訴えました。(第7回参照)
辞書編纂を手掛けるノア・ウェブスターもそれに共感し、その後のアメリカ英語の形成に大きな影響を与えることになりました。彼が1828年に世に出した 『American Dictionary of the English Language』 はおよそ7万語を収め、2巻からなる大型の辞書でした。アメリカ特有の表現や綴り字を収め、イギリスの辞書とは一線を画す存在となりました。
ウェブスターは、若い頃独立戦争(American Revolution)にもかかわっていましたが、その後は生計を立てるために教職につきました。当時、教育現場で使う教科書用の書籍は、イギリスから輸入したものが広く用いられていましたが、イギリスは各地の植民地での紛争対応に国力を注がなければならない状況だったため、輸入が滞り、品薄になるという状況が起こっていました。さらに当時ウェブスターはまだ二十代でしたが、「イギリスの教材では内容が不十分」と考えており、そのギャップを埋めるための教材を自ら作成し、世に出しました。1783年から1785年までの間に出した「綴字(Speller)」「文法(Grammar)」「読解(Reader)」の3科目です。
その中でも青い表紙の綴字教本の評判はこの上なく良く、ウェブスターの生涯で8000万部売れたそうです。これは聖書に次ぐ売れ行きで、当時ウェブスターのセールスマンは聖書とセット販売するという手法も一部で取っていたと言われています。
ウェブスターはこの綴字教本を学校教育で使うことにより、アメリカ式の綴りを普及させることはもちろん、誰もが正しく発音できることも目指しました。綴り方に加えて彼が強調したのは「単語の中の各音節は略さずにしっかりと発音すること」というものでした(イギリス英語の例として secretary という単語は secret'ry のように「-a-」の部分を省略して発音される事があるのに対し、アメリカ英語では sec-ret-ary のように全ての音節をはっきり発音します)。これに関する学校での指導法の例として、以下のような記録が残っています。
教室で生徒が起立し、先生の号令のもと、2音節以上の単語を1文字ずつ、1音節ずつ分解して発音していく練習をします。例えば「publication」という単語。これを、
p(ピー)、u(ユー)、b(ビー)、pub(パブ)、
l(エル)、i(アイ)、li(リ)、publi(パブリ)、
c(シー)、a(エイ)、ca(ケイ)、publica(パブリケイ)、
t(ティー)、i(アイ)、o(オウ)、n(エヌ)、tion(ション)、publication(パブリケイション)
の様に最小要素まで分解して発音する練習です。これをいろいろな単語で行い、綴り字と実際の発音の関係を徹底的にマスターすることを目指しました。
北米では当時学校教育もある程度普及していたため、各地で同じ教材が採用されたことは、アメリカ英語がイギリス英語のように、方言差を持たなくなった要因のひとつであるとも言われています(ただしアメリカの発音は大きく分けて東部、南部、西部で発音の特徴が異なっています。しかしイギリスのように、狭いエリアで時にお互いに通じないほどの方言差がある状況ではなく、広大な東部、広大な南部、広大な西部というそれぞれイギリス1国よりもはるかに広いエリアで比較的均質的な言葉が使われているため、一見アメリカには方言差がないように感じられます。イギリスでの階級方言のようなものはもちろんありません(第1回、第3回参照)。
ウェブスターは教育現場以外でも新しい綴り字普及への努力を惜しまず、米国各地の印刷場を回り、「改正」した新しいスペリング(例:theatre → theater, centre → center)のリストを配布し、これで印刷してほしいと説得する活動もしていたそうです。
ただウェブスターの業績が大きく評価されたのは彼の死後(1843年)でした。1828年に出した前述の辞書は初版が2500部ほどしか売れず、ずいぶん借金も抱えたと言われています。綴字教本で印税が入っていたとは言え、後に改版を出すためにはやりくりに苦労があったそうです。しかし今ではその功績は大きく評価され、ウェブスターの辞書は単に「Webster's」と呼ばれています。
「アメリカ式の綴り」や「音節ごとに明確な音価を与える発音の仕方」の普及はウェブスターの業績がすべてではないかもしれませんが、少なくとも大きなきっかけとなっていることは確かです。これ以外にもアメリカ英語の意義についての主張は続きます。1789年には書籍『Dissertation on the English Language』を出し、自分たちの言語を持つことは自分たちの国を持つのと同じくらい意義があり、いつまでもイギリスを手本にする必要はないと説きました。アメリカ独自の進化を続けた結果、ドイツ語、オランダ語、デンマーク語の枝分かれのように、いつの日か北米でもイギリス英語とは違う言語として発展していくのではないかとまで述べています。
今日までの歴史を見る限り、まだそこまでは至っていません。昔であればひとつの民族が二つに分かれ、その後一切の交流がなくなれば、お互いの言語は必ず別々の方向に変化していきました。ただ現代は交流がなくなるような時代ではないので、独自の言語として分岐していくかは不透明です。
ただウェブスターの時代にはそれを信じ、「言語にせよ政府にせよ、自分たち独自のものが持てるという事はこの上なく名誉なことだ」という信念でアメリカ語の辞書編纂を続けました。彼が最初の辞書『A Compendious Dictionary of the English Language』を出したのは1806年のこと。その後もアメリカの英語を整備し、イギリスとは一線を画すようにしなければならないという信念が消えることはなく、1828年出版の 『American Dictionary of the English Language』 は、その集大成だったといえます。
担当:翻訳事業部 伊藤
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