Column

2022年7月

IRコラム①:企業価値を創造するIR

株主との対話とは何かを考える

ほとんどのビジネスパーソンは普段、自社の株主のことを考えることはないでしょう。

私も昔は考えたこともありませんでした。IRマテリアルの翻訳・制作サービスを提供するアークコミュニケーションズではありますが、自社株は公開しておらず、自分が大株主なものですから(^_-)-☆。しかしながら縁あって、上場企業の社外取締役を拝命し、「会社は株主から経営を委託されて、業務を執行している」ことを思いしらされました。会社の経営に直接的に関与していない株主や潜在株主に、どのように会社のことをご理解いただき、ファンになっていただくのか?頭ではわかったつもりでいたことが、心に重く響く今日この頃です。

そして今は株主や投資家もグローバル。グローバルなIR(Investor Relations)活動を黎明期から担当なさっていた黒井さんに、今回よりIRに関するコラム執筆をお願いしました。大手上場企業の常務・IR責任者として、不祥事の真っただ中で混乱を極めた社内を支え、外部に対しては毅然と信頼関係を構築し、社内にも社外にも希望の光をともし続けた方です。

黒井さんは、私が留学をしたケロッグビジネススクールの先輩であり、お人柄とダンディさで、我々後輩の憧れの的です。そんな黒井さんの、実体験記をご披露いただけるとのこと。黒井さんのIRにかける熱い思い、ぜひお楽しみください。

アークコミュニケーションズ代表取締役
大里真理子

IR(Investor Relations 投資家向け広報)との出会い

私がIRに出会ったのは30代になったばかりの1987年でした。商社に就職して、当時は珍しかったM&Aやファンド投資の仕事をしていました。M&Aやファンド投資は萌芽期でしたが、大変スリリングかつチャレンジングな仕事でした。その後、ロンドンのM&A子会社に駐在し、ベルリンの壁崩壊やソ連の解体に遭遇した私は40代になり、「商社の源は欧米でいう投資銀行であり、日本の商社が持つ海外ネットワークや地域の知見を活かせば、新たな金融ビジネスができるのでは」という思いを強くしていました。

そんなところに突然、IRチームリーダーへの異動辞令が出たのです。私は「そんな稼ぎに結びつかない退屈な仕事はやりたくない」と即座に断りました。しかし、上司から「IRはこれからの時代に必要な仕事で、誰にでもできる訳ではない」と懇々と説得され、結局、異動することになりました。ここから、50代半ばでグループの自動車メーカーに転籍するまで、機関投資家とわたりあうIRの仕事が始まったのです。

分かりにくい商社のビジネスをどう説明するか

IRはやってみると、なかなかタフな仕事でした。IRについては素人でしたが、テクニカルな説明は勉強すれば良いし、答えがはっきりしているので、自分にとってはむしろやり易かったと言えます。一方で苦労したのは、商社のビジネスモデルや存在意義を、株主にどのように説明するかでした。欧米の株主からうけた数々の厳しい質問に対しての私の答えは、「商社は決して世に不要な存在ではなく、付加価値を持ったアウトソーシング機能の受け手としての存在意義がある」でした。付加価値とは「取引先拡大のマーケティング機能」「与信審査機能」「物流機能」の3つです。この説明は、一定の理解は得たものの、株価を上げるほどの力はありませんでした。と言うのも、知名度が高い大手総合商社がいくつも存在するのは日本特有なことで、海外の企業は内部にこの機能を持っており、他社に依存する事例がなかったからです。

IRの努力が実ったのか株価が目に見えて上がり始めたのは、資源価格が高騰し、外部から利益の見通しが立てやすくなった2005年以降のことでした。外部の投資家にとっては、「企業が将来にわたり、どうやって利益を生むか」を簡潔、明快に理解し、確信することが最も大切だということでしょう。

もう一つ私を悩ませたことは、コングロマリットディスカウント*1です。機関投資家からは、「天然ガスや鉄鉱石など資源への投資に対する着眼点や交渉力は敬服する。そこに特化して他の儲けの少ない事業はスピンアウトしてはどうか」としばしば指摘されました。簡単に言えば「シンプルイズベスト、余計な事はするな」ということでしょう。
これに対しては当時の大コングロマリットGEのイメルトCEOが語っていた「ビジネスの多角化は意味がある」なども引用し、膨大な時間を使って説明、防戦に努めました。しかしながら時代によって適切な戦略は変わっていきますし、IRの力だけで投資家を動かすのは難しく、果たしてどれだけ効果があったのか微妙なところです。
結局一番意味があったのは、定期的に機関投資家を訪問し、信頼関係を築くことでした。また、外国人投資家にコンタクトする際には、日本語から最も適切な英語に置き換える作業が重要でした。次に、そのことについて述べたいと思います。

*1 事業を多角化している企業において、市場からの評価が個々の事業のみで活動する場合に比べて低下し、株価が下落すること

IRになぜ英語が重要か

日本での株価の上昇・下落には、海外の機関投資家が大きな役割を果たしています。従って、海外の機関投資家にコンタクトすることがIRの必須業務となるわけです。

この仕事に携わるうちに「IRは、商品が自社株であるマーケティング活動だ」と思うようになりました。どんな商品でも「売らんかな」という姿勢では、買いたい気持ちになりません。良いところは分かりやすく、悪いところは正直に説明することで、正しい商品価値を知ってもらい、お客様に信頼してもらうことが肝要でしょう。

これを海外の機関投資家に行うのがIRなのですから、英語がどうしても必要になるのです。

もうひとつ大切なことは、経営トップが自ら英語で語り掛けることです。少なくとも冒頭のプレゼンは英語で行うことで、機関投資家の関心をうまく引き付けることができますし、逐次通訳の時間を省くこともできます。

私の時代には、英語でコミュニケーションをとれる経営トップはまだ少数でした。従って、海外IRの際には、アークコミュニケーションズのようなアニュアルレポートの翻訳を手掛ける翻訳会社に、英語のロジックに則った発言用の原稿を練り上げてもらっていました。英語の原稿を読み上げるのが難しい場合は、同時通訳をお願いすることもありました。

同時通訳の難しさに直面したこともあります。ある副社長と出張した時、得意な分野についての質問が出て、もともと早口の副社長が、立て板に水の日本語で説明してしまったのです。あまりの早口で、同時通訳者は対応不可能となり、黙ってしまいました。やむを得ず最後に私から「今、副社長が言いたかったことはこうです」と補足説明をしましたが、全てを伝えることができませんでした。逆にその投資家が「副社長の熱意は伝わった」と言ってくれたのが救いでした。

コロナ禍で、私の時代のような頻繁な海外出張はできなくなっていると聞きます。信頼関係の構築には、Face to Faceのミーティングがやはりベストだと思います。それに、海外各地の美味しい食事も食べられませんしね。

経営とIR

IRは正しい企業価値を形成していくものです。この後、自動車メーカーの経営企画担当役員を務めましたが、IR業務に携わった経験から育てられた感覚や、重要だと感じることをご紹介します。

一つ目は、どんな事象をどのタイミングで開示するのが良いかという感覚です。東証には適時開示のルール*2があり、これを遵守することが投資家の信頼を得る第一歩となります。

二つ目は、社外の第三者の観点に触れて戦略を研ぎ澄ますことです。社内の議論だけに埋没していると、現状維持の戦略しかとれず、業態の変革に踏み切れないものです。どの企業も一定の期間が過ぎると「勤続疲労*3」を起こし、世の中の変化に対応できなくなると考えた方が妥当でしょう。IRを通じた投資家との対話は、経営者にとって頭の整理になるとともに、「ゆで蛙*4」になるリスクに気づかせてくれる良い機会を提供してくれると思います。

三つ目は、IRの場を活用して、投資家に対して「企業の将来の方向性」を示すことです。私が在籍した自動車会社の大きな課題は、優先株を消却して復配にこぎつけることでした。なかなかの難事でしたが、公募増資を通じて優先株を消却するだけでなく、無借金の会社に変えることができました。この難事を乗り切るために行ったのが、投資家に対して「企業の将来の方向性」をコンスタントに説明し続けることでした。

優先株を入れている企業は通常再生段階にあって業績が厳しく、優先株を処理しない限り普通株の株価が上昇する見込みが薄いため、機関投資家が投資対象にすることはありません。しかも、例えば公募増資で優先株を処理しようとすると、増資をする時期になると、投資家へのコンタクトは厳しく制限されてしまうルールになっています。このため投資家は、今まで真剣に見ていなかった銘柄に対して、極めて短期間に投資判断を求められることになるのです。私は、コンタクトが制限される期間のかなり前から、定期的に機関投資家向けに説明の場を設けてもらいました。そして、それまでに実施してきた選択と集中の戦略を細かく説明し、我々が描く将来の姿を見せる努力をしました。この努力を通じて培われた信頼感が、公募増資を成功裏に実現できた理由と思っています。

最後に、企業は、経営トップの候補者を早めに投資家への説明に立ち会わせ、トレーニングすることも大切だと思います。社長になってから初めて投資家に会うのではなく、仕事をする中で事業の責任者として投資家に説明できる能力を身につけさせるのです。IRは、経営者の目を社外に開かせ、育成するツールにもなりうることを申し上げて、この稿を締めさせていただきます。

*2 上場企業には、株価に影響する可能性のある経営上の重要情報を、速報性を考えて適時適切に公表する義務がある
*3 長時間、長期間にわたって働き続けたことで蓄積される疲労のこと。工学分野で使われる継続的、繰り返し受けた力によって金属の強度が低下する現象「金属疲労」をもじった言葉
*4 「常温の水に入れたカエルは、ゆっくり水温を上げていくと逃げ出さず、最後には死んでしまう」という作り話由来のビジネス上の警句

黒井 義博  プロフィール

大手商社において海外子会社社長を務めた後、大手自動車メーカー、大手自動車部品メーカーにおいて役員として経営企画、海外営業、IR、リスク管理、IT統括などに対応。グローバル企業での豊富なマネジメント経験とリスクマネジメントや事業開発に関する幅広い見識を持つ。現在は大手ガラスメーカーの社外取締役を務める