2020年7月
言語学コラム②:関係節ではない関係節、あるいは量をめぐる問題
Google翻訳が苦手なところ
なぜ言語学者は例外が好きなのか?
英語学(生成文法)に興味のない人にとって、前回のコラムも今回のコラムも、「so what?(それがどうした!)」という気持ちになることでしょうね(苦笑)。しかし、この分野が好きな人は、説明しきれない例外を見つけたりするとワクワクします。そこには、今まで知られていないけれども、言葉の謎を解き明かす「ヒント」があるのではないか、と思うからです。
ビジネスにおいても、「例外(異常値)」が教えてくれることはたくさんあります。例えば、横軸を売上高、縦軸を利益にしたグラフ上に、同じ業界の会社を分布させたとします。ほとんどの会社は、右肩上がりの一次関数上に乗ることでしょう。しかし、ここに売上高は小さいのに利益がとても大きい"異常値"の会社を見つけたとします。「この会社の秘密を解き明かせたら、わたしたちもまねをすれば、同じように利益率の高い会社になれるに違いない!」と期待しますよね。
「例外に宝の山が眠っている!」――そう思って、今日も学者は例外から新たな真理を見つけ出そうとしているのです。
ちなみに大里が35年前に書いた卒論のテーマは、「関係代名詞の非制限用法」でした。残念ながら、渡辺先生の研究室の生徒のような新しい発見はできませんでしたが。
アークコミュニケーションズ代表取締役
大里真理子
今回は、量を表す表現と関係節を比較してみたいと思います。
「関係節には、名詞が意味する範囲をさらに限定する"制限用法"と、注釈を付け加える働きしかない"非制限用法"の2種類がある」というのは、高校の英語で習ったと思います。以下は、懐かしい例文かもしれません。
(1)制限用法
She has an uncle who lives in Paris.
彼女にはパリに住んでいるおじが1人いる(パリ以外に住んでいるおじもいるかもしれない)
(2)非制限用法
She has an uncle, who lives in Paris.
彼女にはおじが1人いて、パリに住んでいる。(おじは一人だけ)
非制限用法は名詞のあとにコンマが入るので、比較的わかりやすいですね。しかし、さらにこれらとは別の種類の関係節(のようなもの)が存在することは、理論言語学以外の場では知られていないのではないかと思います。
ここでわざわざ「(のようなもの)」と断っているのは、対応する日本語の表現を考えると、英語としても関係節として扱うのが妥当ではない、と思うからです。まずは、それがどのような表現を指して言っているのか、英語から見ていきましょう。
Carlsonという研究者が最初に指摘したのが、以下のような文です。
(3) John put everything that he could in his pocket.
(3)は次の(4)とほぼ同じ意味で、(3)のような文の「that」節は、まずその意味に注意が必要です。
(4) John put as many things as he could in his pocket.
(3)と(4)はいずれも「数量の比較」をしており、(3)の「that」以下は、意味の上で「名詞(everything)を制限的に修飾する」普通の関係節とは明らかに異なります。関係節というよりも、(4)のような比較級に近いものなのです。また、通常の関係節は「that」が「which」で置き換えられるはずなのに、それもできません。英語だけ見ていても、このような例外的なことがいくつかあがってきて本当に関係節なのだろうかと疑ってみたくなります。
Google翻訳で(3)がどうなるかというと、次のような残念な結果になりました(2020年7月2日時点)。
「ジョンはポケットにできるすべてのものを入れました。」
「could」以下で省略されている動詞句が、うまく理解できていないという問題もあるのでしょう。動詞句の省略は、(3)のような量の等価を表す節でよく起こります。Google翻訳の実力はまだまだということですね。
では、日本語では、どうなるでしょう。冒頭で、「対応する日本語の表現を考えると、関係節として扱うのが妥当ではない」、つまり「関係節」でない、と予告しましたが、日本語では、(3)をどう表現するか。量の等価を表現すると、以下の(5)のように「だけの」という言葉を使うことになります。
(5) ジョンはポケットに詰め込めるだけのものをすべて詰め込んだ。
関係節らしくないことは、最初に英語の制限用法の関係節の例としてあげた「(1)彼女にはパリに住んでいるおじが1人いる」と比較してもなんとなくわかりますでしょうか。「だけの」というのが気になるのですが、これでは禅問答かもしれないので、語順の問題を考えます。日本語の関係節は、名詞の前にしか出てこないのです。「おじ」を修飾している「パリに住んでいる」が関係節といえます。これを格助詞(「が」)のうしろにもってきてしまうと、
「(1')彼女にはおじがパリに住んでいる一人いる。」
となり、日本語としてわけのわからないことになり、日本語の関係節は名詞の前にしかこれないことが明らかです。ところが同じようなことを(5)についてやってみると、次のようになります。
(5') ジョンはポケットにものを詰め込めるだけすべて詰め込んだ。
「もの」だと具体性が足りない感じなので、「コイン」に替えてみます。
(5' ') ジョンはポケットにコインを詰め込めるだけすべて詰め込んだ。
普通の日本語ですね。日本語でこのような語順が可能であることは、10年ほど前にわたしの研究室の学生が卒業論文において指摘して、理論分析につなげています。
つまり、日本語の場合、「だけの」を含む節は、(5')のように、格助詞(「を」)の後ろに来ることもできるわけです。これは、名詞の前にしかでてこない関係節とは明らかに違います。普通の関係節を無理やり「を」の後ろに持ってくると、日本語として変なことになります。このような語順の違いからして、日本語の「だけ」節については「関係節」という呼び名を使うこともはばかられる、というわけです。そうすると、その英語バージョンも関係節と考えるのは無理かもしれない、ということになります。
英語と日本語を綿密に比較していくと、単なる例外と思われることの背後にある文法の本当の働きがはっきりと見えてくるのが学者としては、大変面白いところなのです。
[参考文献 Carlson, Greg(1977)Amount relatives. Language 53: 520-542. ]
担当:東京大学教授(英語英米文学研究室)渡辺 明
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【2020年7月】言語学コラム②:関係節ではない関係節、あるいは量をめぐる問題 Google翻訳が苦手なところ