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今回は南半球に視点を移してみたいと思います。南半球の英語圏で存在感がある国はオーストラリアです。面積は世界の陸地の5%を占める広大な国です(日本はちなみに0.25%)。
イギリスからオーストラリアに本格的な移住が始まったのは18世紀のことでした。18世紀後半から19世紀は、イギリスから世界に英語が広がっていった時期になります。オーストラリアだけではなく、アメリカ、カナダはもちろん、ニュージーランド、南アフリカ、インド、シンガポール、香港、フォークランド諸島などなど。中でもオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの3か国については、同時期に同世代の人々が渡ったこともあり、これらの地域の言葉には共通の特徴が見られるといいます。
19世紀中盤(といえば、ワーテルローの戦いやアメリカ独立戦争の時代。日本では江戸から明治に変わる時代。)までにイギリスを離れた人は700万人に及びました。国を離れる動機は人それぞれ。貿易のため、兵士として戦地に赴くため、船乗りとして、宣教師として、探検家として......。そのほとんどは、経済的な理由や社会的な理由がきっかけになっています。半数はアメリカに渡り、150万人ほどはカナダに渡り、100万人ほどはオーストラリアに、残りはその他の地域に散らばって行ったそうです。
この時代のアメリカやカナダについては以前ご紹介しましたが、オーストラリアはどのような状況だったのでしょうか。
最初の大規模な移住が始まったのは1788年に入って間もなくのことです。イギリスから船でおよそ8か月かけて1000人近くの人々が上陸したのは、南東部ニューサウスウェールズの「ボタニー湾」周辺でした。上陸した内の4分の3は流刑に処せられた罪人で、1期につき7年の刑期が科せられていたといいます。
これに先立ち1770年には、探検家のジェームズクックが今のクイーンズランドにある「エンデバー川」をさかのぼっていました。そこにはアボリジニーが多く居住しており、探検隊が現地人とのコミュニケーションに使ったのはピジン(第六回参照)でした。クックはピジンを頼りに、交渉事に役立ちそうな彼らの言葉を多く集め、記録しました。クックによる言葉の収集、記録はとても丹念なもので、それなりに価値のある資料を完成させていたといいます。しかし、アボリジニーの言語はひとつだけではなく、実は何百もあることには、この時全く考えが及びませんでした。
時が経ち、1788年の大規模な移住でやってきたイギリス人たちは、このクックの資料を頼りに現地人たちと交流を図りますが、全く通じません。彼らが上陸したのは「ボタニー湾」で、そこでは「エンデバー川」のアボリジニーとは全く異なる言語が使われていることがわかったのです。
ジェームズクックが収集した言葉の中には、あの kangaroo という言葉が含まれていましたが、「ボタニー湾」周辺のアボリジニーたちにはこの kangaroo という言葉は通じなかったのです。その結果、アボリジニーたちは kangarooを「白人たちが連れてきた牛や羊を総称する言葉」として認識して使用するようになり、牛を見ても羊を見ても「kangaroo !」と言うようになったといいます。
さらに年月が経ち、別の探検隊が「エンデバー川」を訪れました。彼らはクックの単語集を携帯しており、この時は言葉の意味は通じるものの、こと kangaroo については「今の我々が普通に思い浮かべるあのカンガルー」としては通じなかったという記録があります。となると、この kangaroo という言葉はどこから来て、どういう経緯で単語集に収録されたのでしょうか。これは未解明のまま今でも残されているようです。
当時の入植地では、現地人と白人たちのコミュニケーション手段として、ピジンが広く使われるようになったことは上でも触れました。白人の入植者たちは次第に現地人たちと離れた場所で暮らすようになり、それほど頻繁な交流があったわけではなかったようです。そのためか、オーストラリア英語に溶け込んだアボリジニーの言語は、アメリカ英語に溶け込んだインディアンたちの言葉に比べて限られており、動植物の名称や地名に集中する傾向が見られます。特に地名については、オーストラリアの地名の3分の1ほどがアボリジニー言語に由来しているといわれています。
このようにイギリス人のオーストラリアへの本格的な移住は18、19世紀だったため、今でもオーストラリア英語には、現在のイギリス本国ではあまり使われていないこの時期特有の表現が残っています(例: corker 素晴らしい、tootsyk larrikin いたずらっ子、fossick くまなく探す、fair dinkum 本格的、clobber ぶっとばす/服装、など)。
またこの時期には、オーストラリアでもゴールドラッシュがありました。ゴールドラッシュといえばアメリカ・カリフォルニア州が有名ですが、一攫千金を狙ってアメリカ人たちもわざわざオーストラリアに渡って来たのでした。それとともに流入したのが、アメリカ英語です。
イギリス出身者たちが作るコミュニティーで現地独自の表現も生まれてくる中、言葉は母国のイギリス流に従うべきか、新興のアメリカ流に従うべきかという揺れがここでも起こります。結局は、人々の好みで定着したものが多いらしく、必ずしもどちらの国に従うという決まりにはならなかったといいます。例えば、水道水は faucet (蛇口、英) ではなく tap (米)から出て、ビルでは elevator (米) にも lift (英) にも乗り、車は petrol (ガソリン、英)で走らせ gas (米) は使わない。その車は freeways (高速道路、米) を走っても motorways (英) は走らない、といった具合です。この模索は、カナダの状況と似ているのかもしれません(第九回参照)。
ちなみに英語には kangaroo court (カンガルー裁判)という言葉があります。これは、形式的には裁判の形を採っていても裏ではすでに結論が決まっており、カンガルーが飛び跳ねて移動するように、すいすい物事が進んで判決が下される裁判のことを言います。この言葉は、アメリカ英語が起源だそうです。
オーストラリアではイギリス東部、南部出身の人々が多数派でしたが、アイルランド、スコットランドといった北部出身者たちもいました。南部出身者たちの中には、中下流層の言葉と呼ばれるコクニーという英語を話すグループが含まれます。彼らは語頭のHを発音しません(例えば half はアーフとなります)。一方、南部出身でも、中上流層出身者や北部出身者たちはしっかりとHを発音します。
彼らが同じ場所で共生するようになると言語の平準化が起こり、オーストラリア独特の音色が醸し出されるようになりました。この平準化はアメリカでも起こった現象です。
オーストラリアで生まれた移住者の子供たちは、主に学校などでの交流を通して、およそ1世代で、親たちの出身地(イギリス各地)の話し方を受け継ぐことなく、英語としてより洗練されたものを話すようになったといいます。Hはしっかり発音するようになり、たとえばアルファベットのH自体もエイチとは言わず、ヘイチと発音する徹底ぶりです。
このように、イギリスが世界各地で作った植民地によって、「英語圏」は他の言語の追随を許さないまでに広がりました。同じ言語ではあるものの、各地域の特徴を比べてみると、その違いが出てくるに至った歴史的な経緯につながり、非常に興味深いものです。今回はオーストラリアの英語について見てみましたが、ほかにも南半球の英語圏にはニュージーランド、フォークランド諸島、南アフリカなどがあります。興味のある方はぜひ調べてみてください。いろいろな発見があるかもしれません。
さて、5年間にわたって連載してきたこの英語の豆知識シリーズは、今回で終了となります。これまでお読みくださった方々に深謝申し上げます。次回からは新たな執筆者による新シリーズが始まります。ぜひ、ご期待ください。
担当:翻訳事業部 伊藤
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