米国・ボストン「しがらみから少しだけ自由になる方法」
January 1, 2022
翻訳者派遣会社が送る、世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ
未知を求めて世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ。今回は約30年前、ボストンを訪れた時のこと、宿での2ドルの朝食にも異文化が詰まっていました。
修道院の一室のような部屋を抜け出しハンバーガー店へ
私が初めて米国に渡ったのは、大学生の時。ロサンゼルスで伊藤若冲のコレクターであるジョー・プライスさんのご厚意で絵画の調査研究に参加させていただいた後、マイアミ空港へ。そこから1時間ほど車で行った町、兄が住むボカラトンを訪ね、最後はボストンへ。ボカラトンでは夜も泳げるほどの気温だったのに、ボストンは日中でも10度ほどしか気温が上がらず、震え上がるとともに、米国の広大さを肌で知った。
ボストンではYMCAの女性版、YWCAが営むホステルに宿泊。当時(約30年前)、30ドル程度だったと思うが、部屋には寝台車レベルに幅の狭いベッドと、壁に据え付けられた小さなデスクと椅子があるだけ。椅子を引けばベッドにぶつかるほどのぎちぎちぶりだ。明かりを付けても暗く、まるで修道院の一室のよう。小公女ごっこをやるにはうってつけの場所だが、絵葉書を書くには暗すぎる。早々に部屋を脱出して、向かいにあるファーストフード店に河岸を変えることにした。
チェーンではない個人のハンバーガー店で、野菜は自分でチョイスして好きなだけ入れてもらえるスタイル。ボリュームもあり、何より照明も、店を切り盛りする女性も明るいのがいい。ハンバーガーを食べ終え、絵葉書を書いていると、女性が高らかに歌いながら片づけを始めた。椅子を次々と机の上に積んでいくのに合わせ、潮が引くように客も帰っていく。私もトレイを片付け、向かいの部屋へと引き上げた。
後で聞いたところでは、彼らはギリシアからの移民夫婦で、野菜のチョイスには隠語も含まれており、違法な"トッピング"もあるのだとか。あまり掘り下げずに、聞き流しておいたが、陰ひなたが混じりあう米国の複雑さも垣間見た思いがした。
玉子の数の妥当性
翌朝、朝食をとるために地下の食堂へ。わずか2ドルとあって期待はしていなかったのだが、まあまあの品数だ。社食のようなつくりのカウンターをプラスチックのトレイを滑らせながら進むと、"エッグコーナー"があり、"How cook?"と聞かれた。調理法を選べるらしい。何があるのか確認したうえで、オムレツを選択。すると続いての質問が飛んできた。
"How many?"
え?と思わず聞き返す。"How many"に続く英単語は"eggs"ということだろうか。まあ他に入る単語があるとも思えないのだが、まさか「いくつ?」と聞かれるとは予想していなかったので、しばしの間、思考がストップしてしまった。「どのくらいを言うのが妥当なんだろう、1個では少ないのだろうか」と思いながらも、朝は小食の私は結局、"One"の答えを選択。しかしながら目は泳いで、他の人は「いくつ」頼んでいるんだろうと、ついつい人のトレイを盗み見てしまう。そんな私の目に驚きの光景が飛び込んできた。トレイに林立するグラスの数は1、2、3...、なんと6個!水のほかに白やオレンジや赤や、とにかくいろいろな液体が満々と注がれ、ゆらめいている。頭を巡らすと、さすがに6個は他にないものの、3~4個のグラスを載せている人は普通にいる。
なんだか、人のトレイを見るのがばからしくなってきた。そんなことを気にしているのは私ぐらいだろう。
そうこうするうちにオムレツが出来上がり、トレイに乗せて席へと運んだ。おばあちゃんが同席し、話しかけてきたので、しばらくつきあって聞いていたが、途中からそれも面倒くさくなり、適当に相槌を打つことに。おばあちゃんは私が聞いていなくても、スピードを落とすこともなく存分にしゃべり、食べ、飲み、立ち上がって出て行った。
「しがらみに縛られずに自由に生きたい」とよく言うが、実際には自由を制限するしがらみ(柵)を自ら見つけ、柵の中に留まることで安心したいのかもしれない。誰しも捨てられない「しがらみ」はあるだろうが、「自らしがらみを生み出す」現状を認識するだけでも、少し自由になれる気がした。