イエメン・ハジャラ村「摩天楼の夢」
August 4, 2020
翻訳者派遣会社が送る、世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ
未知を求めて世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ。今回の舞台は、シバの女王伝説に彩られ、コーヒー発祥の国とも言われ、小説「アデン・アラビア」で描かれた国、イエメンです。
「古き良きアラビア」へ
石油などの資源に乏しく、かつ部族間の内乱が激しかったために、著しく近代化が遅れたイエメンは「古き良きアラビア」の姿を奇しくもとどめている。というのも今は昔話となりつつある。ISの拠点化が進み、さらに数年前からはイエメン政府と反政府勢力による内乱状態に突入。各国領事館はもちろん、ジャーナリストの多くも撤退してしまったため、現在の状況は雲をつかむようなものだ。
私がイエメンに渡ったのは、今から20年近く前、内乱がようやく途切れ、イスラム過激派が流入してくるまでの、まさに雲間に射す太陽のような一瞬だった。国家立て直しに向け、これからは観光に力を入れていこう、そのためには外国人の安全確保に努めなければならない(実際、外国人誘拐事件は度々起きていた)と、観光警察(ツーリストポリス)なるものを創設。外国人が町をまたぐ移動をする際には、移動許可証を取得することが義務づけられた。私のような短期旅行者にとって、許可証を自力で取得するのはハードルが高い。お金より時間の節約と考え、現地の旅行社に車とドライバー、英語ガイドの3点セットのアレンジを依頼することにした。
千年続く村のカラシニコフとカート
当日、迎えにきてくれた白い車の後部座席は、私1人が乗るには十分すぎる広さだ。日本ではあり得ない贅沢だが、当時は確か3日間で300ドルほどだったと思う。これに2泊分の宿泊費と食事代も含まれているのだから格安だ。
この小旅行の見所は、鷹の巣村と称される、断崖絶壁の上につくられた集落。岩壁と同じ色の石を高く重ね、3階建て、あるいは4階建てもの"高層ビル"が垂直に天に向かって伸びる。
「オスマントルコが攻めてきたからね、この建物は千年前のものだよ」
ガイド氏は、さらりと説明する。「オスマントルコ?」「one thousand?」と、いちいち単語のスケールがデカくて、私の頭は付いていけない。が、ガイド氏はそんな私にはお構いなしに、さっさと歩を進める。
「昔はこのあたりもコーヒー畑だったけど、今はみんなカートさ」
そういえば、モカはイエメンの港の名前で、ここからコーヒーが全世界に向かって積み出されたんだった。その割にイエメンに来てからコーヒーを飲んでないと思っていたがそういうことかと、一面の茶畑ならぬカート畑を眺める。ちなみにカートとは、覚醒作用のある葉っぱのことだ。
村の入口へとつながる荒れた階段、すれ違う鷹の巣村の男たちも皆、くちゃくちゃとカートの葉を噛んでいる。だがそれ以上に目が釘付けになるのは、彼らが肩からかけている古びた銃だ。これがいわゆるカラシニコフという奴だろうか。銃マニアではないからわからないが、1000年前の姿をとどめた村で、カラシニコフを背負い、カートをくちゃくちゃする男たち...。もう次元がめちゃくちゃで、彼らは実は映画のエキストラなんじゃないかと疑いたくなる。
摩天楼の不思議の夜
この夜、私のほかに、ドイツからきたカップルが1組、この村に泊まった。村の男たちが集まり、音楽を奏で、踊りを披露してくれる。腰に差した「J」の字型の剣を抜きながら舞うものもある。「これからショーが始まります」というアナウンスも何もなく、なんとなく人が集まり始め、ポコポコと鼓がなって、踊り出す人がいて、終わりの合図もないまま、なんとなく終わって、普通に座って、カートを噛みながら茶をすすって、おしゃべりに戻る。ただの村の集会なのか、なんだかよくわからない。
「カートは美味しいの?」
英語は全く話せない彼らだが、意味はだいたい通じたようだ。「お前もやってみろ」と葉を差し出され、断りきれずに、申し訳程度にほんの少し口に含む。途端に葉の青臭い味が広がり、"no good"と出してしまった。男は気を悪くした様子も見せず、また仲間たちとのおしゃべりに戻っていった。
ドイツ人カップルが引き上げたのを機に、私もその場を去り、自分の部屋へと戻った。朝、起きたら建物も村人も跡形もなく、岩山の上で一人寝ていた、そんな日本昔話のようなオチがあっても驚かない(いや、驚くけど)。摩天楼の見せる夢は果てがない。