タイ・バンコク「怒声と懺悔のメトロノーム」
April 25, 2019
翻訳者派遣会社が送る、世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ
未知を求めて世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ。20年以上経った今も、色鮮やかに蘇るバンコクのショットは、カメラには収めきれないもの。怒声と懺悔に縁どられたものでした。
バンコクの喧噪を切り取った映像を見る度に、蘇る私だけのバンコクのショットがある。
「来週なら休みがとれそう」と電話で航空券を手配して向かった先はタイだった。電話だったのは、二十数年前の当時はまだインターネット隆盛ではなかったらに過ぎない。 夜半、バンコク空港からホテルまで、寡黙なタクシードライバーの車で速やかに移動。何のトラブルもなく1日目を終えた。翌朝、ホテルから少し離れたところでタクシーを拾い、行きたい場所を告げる。値段交渉を済ませ、乗り込む。いよいよ楽しい休暇の始まりだ。が、少し走ったところでドライバーがくるりと振り返った。「1カ所だけ宝石工場に寄ってほしい。買わなくていい、見るだけでいいから」
高揚する気分に水をさされ、不機嫌な声で"No"を繰り返す。おそらく、客を連れてくればマージンが入る仕組みなのだろう。しつこく頼んでくる。楽しい旅の始まりをこれ以上、押し問答で過ごすことの不毛さに耐えられず、折れたのは私の方だった。「絶対に買わないし、1カ所だけだよ」と念押しし、思いっきり渋い顔で承諾する。
宝石工場というよりはロードサイドショップ、いやむしろ沿岸部にある大型釣りショップというべきか、白い長方形の建物の前で車は止まった。買うつもりがないことをアピールすべく、ショーケースの前を素通りし、順路通りにひたすら出口を目指す。
「さあ、義務は果たした、旅を続けよう!」ところが少し行くと、ドライバーはまた車を止め、後ろを向いて「もう1軒」と言ってきた。"No!"語気を荒げて返すが、ドライバーもひかない。押し問答の不毛さに今度も私が折れた。ただし、今回はタクシーを降りるという形で。 「やってられるか、さっさと行っちまえ!」啖呵を切るなら自国語に限る。慣れない外国語よりも、意外とニュアンスが伝わるものだ。 それまで片言の英語を話していたドライバーも、タイ語で何か怒鳴り散らし(多分、「くそったれ」とでも言っているのだろう)、どこかへと消えた。
ドライバーが去り、怒りのボルテージが下がると、「ここはどこだろう」と不安な気持がじわじわと沸き上がる。とはいえ、「まあ、またタクシーを捕まえればいい」とその時点では高をくくっていた。ところが、一向にタクシーが通らず、暑さはじりじりと増すばかり。 「どこに行きたいんだ?」 後ろからの声に驚いて振り返ると、そこには一人のタイ人が。行きたい場所を告げると、"OK"と車に案内された。どうやら白タクらしい。金額と寄り道なしを確認し、乗り込んだ。車を発進させるや、「さっき見ていたよ。君が困っていそうだったから声をかけたんだ」と話しかけてくる。 「平日は空港で仕事をしているんだ」 ふーん、それで土日は白タク業?と思いながら、話半分に聞着流す。「だから、お金はいらないんだ。それよりも一緒に食事でもどう?」 はああ?宝石工場の次は食事か?半ばあきれながら、"No"とすげなく断る。その後も話しかけてくるドライバーに対し、外の景色に目をやりながら、適当な相づちを打ってやり過ごす。目的地に着いた時は、やっとトラブル続きのタクシーから解放されるとホッとした。車を降り、事前交渉通りの金額を差し出すと、自称空港職員は「いらない」というように軽く手を振り、去って行った。"Have a nice day"という紋切り型のセリフだけを残して。 どうやら"いい人"だったらしい。これまでの自分の態度が思い出され、悔恨の情が沸き上がる。「あんなことの後で、"いい人"と信じろと言われても...」。そんな誰にかわからない言い訳をしてみても、しばらく立ち直れそうにない。
ところが改心して愛想よく振る舞えば、とんでもないしっぺ返しに遭い、再び憤ることになる。例えば、夜市でお釣りをごまかされ、少々もめた後、いいタイ人がタクシーを止めてくれ、乗ったはいいが、今度は法外な値段をふっかけられ、降りてはまたいいタイ人に助けられる...。その度に大声で怒ってみせたり、不機嫌になったり、感激で胸を熱くしたり、懺悔したり...。いいタイ人と悪いタイ人が交互に来るシステムに、感情のバロメーターは右に左に振り切れ、ほとほと疲れた。 にも関わらず、いやだからこそか。20年以上がたった今でも、バンコクの思い出は鮮明だ。金色に輝くワット・ポー寺院でも、夜市での屋台ご飯でもない。思い出すのは、お釣りが足りないことを指摘され、札を差し出す女店員のきまり悪げな笑顔、「アイム・ノット・メーター・タクシー!」とメーターをオフにした悪徳タクシードライバーの傲然とした物言い、いい人だったのに疑って冷たい態度を取ったことに悄然とし、立ちすくむ自分の姿...。 旅では、カメラに収められないショットにこそ、実は価値がある。他人には無価値なくだらないものだったとしても、心に焼き付けられた"念写ショット"は年月を経ても色あせない。かの地を思う時、それらはいつも鮮明に蘇り、郷愁をかき立てる。