ヨーロッパ某国・某都市「チップの愉しみ方」
February 20, 2019
翻訳者派遣会社が送る、世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ
未知を求めて世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ。今回は、ヨーロッパ某国・某都市にて知った「チップの愉悦」をこっそりお届けします。
チップの煩わしさが愉悦に変わった瞬間、それはヨーロッパ某国・某都市で訪れた。
ヨーロッパのとある国の首都、街の中心でもなく、外れでもない、ありがちなカフェとレストランの中間くらいの店に入ったときのこと。ウエイターは他の客とのおしゃべりに夢中でなかなか来ない。"エクスキューズ・ミー"と声をかけるも、聞こえないのか、一向に効き目はない。何度目かの時に、ようやく振り返るも、「待ってろ」とでも言うように鷹揚に頷くばかり。
ようやく注文を済ませ、料理が運ばれてきたが、先ほどの様子とは打って変わってグラスも皿もガチャンと雑に投げ出し、愛想の一つもなく去っていく。内心、唖然としたが、それでもまだ"内心"に、ここでは止めておいた。
しかし、食べ終わり勘定を頼んでも、全くテーブルに寄り付かず、面倒くさそうな態度をとられれば、さすがに平静を保ってもいられない。心に生じたさざ波は次第に高さと暗さを増し、眉根へと表出した。ウエイターを呼ぶ声にも苛立ちが強くなる。 「ちょっと、まだかなあ?」 そっちが愛想を振る舞う相手を選ぶならば、私にもその権利はあるはずだと、日本語でつぶやきには大きすぎる声で、不機嫌にぼやいてみせる。怒りを表すには、現地語より英語より何より母国語で言うのが一番だ。 ようやく持って来た伝票をこれまたテーブルに放り出して去っていったウエイターの背に「どうも」と、再びゆっくりした日本語で返す。そして、中身の金額を確認。ちょっきりの金額を机に置き、席を立った。 去り際、「お前にはチップなしだ」と声に出して言い残して(もちろん、日本語)。
途端、スーッと怒りの暗い波が引いた。溜飲が下がるとはこのことか。代わりに快感がひたひたと私の心を満たしていった。 「そうか、チップにはこういう効用があるのか」 それまで、ひたすら煩わしいものとしか感じていなかったチップの存在を初めて"ありがたい"と感じた瞬間だった。サービスを評価する権利は客にある。客がサービスに対して点数を付け、適正価格を決める、チップはそのためのツールなのだ。
チップは義務ではない。権利なのだと思えば、権利行使者としてこちらも公正明大な態度をとらねばならない。何も大上段に構えることはないが、飲食の場合は何%と事務的に計算するのではなく、「相手を見てサービスの対価を自分で決めればいい」と思うだけで、だいぶ意識は変わるはずだ。チップは時には感謝を、時には不満を伝えるコミュニケーションツールだ。 この一件以来、チップを前向きにとらえ、楽しむ余裕も少し持てるようになった。