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ポルトガルの「イワシ祭り」|翻訳者派遣会社が送るエッセイ 未知しるべ

ポルトガルの「イワシ祭り」

翻訳者派遣会社が送る、世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ

未知を求めて世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ。今回は、ポルトガルでのイワシをめぐるハプニングをお届けします。

その場の映像や臭い、空気感、話した内容まで鮮明に覚えているのに、それがどこだったか思い出せない。そんな経験はないだろうか。

確かオビドス城であったように思うが、定かではない。ともかく運転手に「カステロ(ポルトガル語で「城」の意)に行きたい」と伝え、友人と共にバスに乗り込んだ。車窓に流れる景色を見ながら、しばしバスの旅を楽しむ。
バスは高台へと向かい、一度停まると、またくねくねとした坂を下りて行く。がたんと揺れる車内で何気なく後ろを振り仰ぐと、城壁のようなものが見えた。

「まさか行き過ぎた?」と友人が不安を口にする。「いやいや、運転手にも伝えてあったし、大丈夫でしょう」。否定はしたものの、行けども行けども"Castelo(カステロ)"のコールはない。さすがに不安になり、重い腰を上げて運転席に向かう。「カステロは...」まだだよね?と続ける間もなく、運転手の「あっ」という短い言葉で、不安が的中したことを知った。

「降りて、反対向きのバスに乗れ」と、運転手は悪びれることもなく、淡々と言ってくる。しかし、バスがいつ来るとも知れない田舎道に「ここで降りても...」と躊躇していると、乗客の一人が英語で助け舟を出してくれた。彼女が言うには、このバスの終点はとある港町で、週末にシーフードを楽しみに訪れる首都リスボンの人たちも多いという。
「イワシが美味しいのよ」
その一言で、「どうせなら終点まで行き、イワシのランチを楽しんでから城に行こう」と私たちの意見は一致、頷き合った。

彼女に礼を言って、終点でバスを降りると、シーフードレストランが軒を連ねる一角を訪ね、気の張らない店を選んで入店。メニューのトップにあるイワシをまずは食べねばと、空腹も手伝って、友人と私、先を争うように注文する。が、置かれたままのメニューを見てやや冷静を取り戻し、「2人で同じものを注文しても面白くない。1つは違うものにしよう」とイワシを1つに変更し、たらのグラタンを追加することに。

結果、これが大正解!
最初に運ばれてきたのは、お盆ほどの大きさもあるキャセロールに盛られた、たらのグラタン。「これだけでも食べきれるかどうか...」。たらとじゃがいもがホワイトソースで一体化したものがみっちりと詰まった熱々のグラタンを、2人がかりでせっせと口に運ぶ。とそこへ、こんがりと炭火焼されたイワシが登場。しかも、6匹!
「1人前で6匹!? 1人でイワシ6匹も食べる?」
友人と私は、日本語が通じないのをいいことに、店内で大声を上げる。2人で分けても、1人あたり3匹。未だかつて一度に食べたことのない量のイワシをなんとか片付けた時点でギブアップ。2人前頼まなくて、本当によかった。危うく12匹のイワシと対峙する破目になるところだった。たらのグラタンは半分残して、店を出た。

パンパンに膨らんだ腹をさすりながら、港町を少し歩いてからバス停へと向かう。今度は運転席のすぐ後ろに陣取り、友人とわざとらしく大きな声で「カステロ」を連発。その甲斐あってか、今度は忘れられることなく、城の前でバスを降りることができた。

ずいぶんと大回りして、ようやくたどり着いた城の門をくぐる。中庭に出ると、もうもうと煙が立ち込め、何やら知っている臭いが鼻をかすめる。目を凝らすと、庭の中央には炭火の上に網が置かれ、その上には大量のイワシがあるではないか!
どうやら、その日は「目黒のさんま祭り」ならぬ「カステロのイワシ祭り」らしい。イワシのほかにも、パンと赤ワインが無料で振る舞われ、皆、美味しそうに頬張っている。
「こんなことなら、イワシを食べて来るんじゃなかった」と言っても"後の祭り"。
イワシをすすめてくる陽気なおじさんの誘いを丁重に断り、パン1片と赤ワインを受け取った。石段に腰掛け、焼けたイワシに群がる人々を見ながら、樽からプラスチックカップに注がれた、少しぶどうのカスが交じるワインを飲み、ぱさついたパンをかじる。
陽光に香ばしい煙が交じり、人々の笑みが満ちる。もはや"市民のお楽しみ広場"であり、観光地に来た感じはしない。

ポルトガル旅行から十数年経った今、城の名前も港町の名前もイワシを焼く煙に巻かれたかのように、ぼんやりとしていてどうしても思い出せない。
一方で、イワシ6匹が運ばれてきた時の衝撃、イワシを焼く臭いや煙、その場の空気感まで、ポルトガルと聞く度に一気に実体を持って押し寄せる。五感に刻まれた記憶は、色あせることはない。

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