イッツ・キューバン・タイム!「自尊と寛容」
May 10, 2017
翻訳者派遣会社が送る、世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ
未知を求めて世界を旅するヤマ・ヨコのエッセイ。2016年、アメリカとの国交回復で一躍脚光を浴びるキューバを訪れました。
挨拶は短いほうがいい。
キューバを歩いていると、そう実感する。
道行く人たちと気軽に挨拶を交わし、時に立ち止まって無駄話ができるのも、"こんにちは"に当たるスペイン語が"オラ"と限りなく短いおかげだ。言うまでもなくキューバでスペイン語が使われているのは、旧宗主国がスペインであったからだが、もしこれがロシアだったなら"ズドラストヴィーチェ"となり、舌を噛まないように慎重になったかもしれない。ハンガリーだったなら"ヨーナポトキヴァーノク"となり、すれ違う前に言い終えるのは困難だったかもしれない。 ちなみに、スペイン語の"さようなら"は"アディオス"だが、街中で多用されるのはより短い"チャオ"(イタリア語で"またね"の意味)だ。
そんなキューバで、時間はあまり当てにならない。 「明日の朝、9時から9時半くらいに迎えにいくよ」と言った乗り合いタクシーが、10時を回った頃にようやく来たなんていうのはかわいいものだ。「片道、馬で1時間くらいかな」と言われたが、目的地の滝壺に着くまで2時間半はゆうにかかった。 都市間の移動を、ツアーバスに同乗させてもらった時には、ガイドが忘れ物をしたからいったん自宅に帰るとバスごと寄り道し、待たせた客に悪びれもせず"It's Cuban time!"と朗らかに言い放つ。 そのくせ"歴史的な時間"には厳格なまでに正確だったりする。「この家は102年前に建てられたものよ」と、決して"約100年"とは言わない。「1953年製の車だよ」と、友人の車を指して得意気に言うのを聞き、持ち主でもないのによく覚えているものだと変に感心したこともあった...。
"Indians were all killed." 「先住民たちは皆殺された」という衝撃的な言葉が耳を打ち、窓に流れる景色を見ながらぼんやり考え事をしていた私の意識は車内に引き戻された。スペイン語と英語、さらにはフランス語を器用に使い分けながら、ガイドは続けて語る。 「先住民は、(南米)大陸では奥地へと逃げることができたが、島(であるキューバ)ではできなかった」
自分たちが暮らす土地での惨劇を、"all killed"という苛烈な響きを持つ言葉で自国の歴史を語る気持ちを、私は知らない。推し量ろうとしても、皆殺し、根絶やし、という言葉の強さに阻まれ、ただ怯むばかりだ。 スペインの後にも、フランス、イギリスと列強各国が押し寄せ、さらにはさとうきびプランテーションの労働力として大量の黒人奴隷が投入された。実に様々なルーツを持つ人たちが暮らす国、キューバ。
では、そもそもキューバ人とは一体、何者なのか?そんな疑問が湧いた時、ツアー客の一人が「フランスの統治下にあった街には今もフランス人が住んでいるのか」と質問した。 それに対するガイドの答えは短かった。
"No, We are all Cuban." 「キューバに住んでいる人間は皆、キューバ人であり、それ以外の何者でもない」 そんな矜持が見えた瞬間だった。
「世界には多くの衝突がある。でもキューバにはそれがない。平和が一番よ」 首都ハバナで民泊を切り盛りするお母さん、カルメンは言い切った。
彼らとわずかな時しか共有していない私には見えない部分も多い。しかし、感じたものもある。それは、ラム酒を片手に鮮やかにステップを踏むキューバ人の血に流れる「自尊と寛容」だ。 "歴史的な時間"に正確なのは自尊の現れ、時間に緩い"Cuban time"は寛容の現れと言えるかもしれない。 自尊が強すぎれば高慢となり、弱すぎれば卑屈に陥る。日本は不寛容社会と言われるようになって久しいが、自尊と寛容のバランスをとることは多様化が進む現代社会において殊更に重要な問題となりつつある。
そういえば、今やキューバの代名詞となっているラム酒の原料であるさとうきびも、もともとキューバには自生していなかったと聞く。 先住民が絶えたキューバに入植した様々な背景を持つ人々は"オラ"と互いに声を掛け、壁を超えて交じり合い、独自の文化を醸成してきたのだ。 米国との国交回復、フィデル・カストロ氏の死去と、変革期を迎えるキューバで、これからどのような熟成が進んでいくのか...、再訪を心に誓う旅になった。