本サイト(www.arc-c.jp)は、快適にご利用いただくためにクッキー(Cookie)を使用しております。
Cookieの使用に同意いただける場合は「同意する」ボタンを押してください。
なお本サイトのCookie使用については、「プライバシーポリシー」をご覧ください。
Close
今回のfunNOTEでは、日本のアルペンスキー界に多大な功績を残した皆川賢太郎さんにインタビューさせていただきました。2006年のトリノオリンピックで魅せた日本人選手によるアルペンスキー競技での快挙(スラローム決勝4位)、そしてその後のスキー界への貢献とビジネスパーソンとしての活躍には、刮目すべきものがあります。本インタビューでは、そうした皆川さんの魅力をあますところなくお伝えしたいと思います。
また、元アークコミュニケーションズスキーチームの米谷優(スキーハーフパイプ)も同席し、トップアスリートのセカンドキャリアについて闊達な対談が実現しました。トップアスリートが考えるビジネスとは何か、どうやってビジネスの世界でも成功を収めていったのか、さまざまなヒントがそこにはありました。
左より 大里、皆川様、米谷
大里:今回のインタビューでまずお聞きしたかったのは、2006年トリノオリンピックのアルペンスラローム決勝2本目の皆川さんの精神状態です。1本目を終えて3位。メダルが懸かったあの瞬間のことを、長年ご本人の口からお聞きしてみたいと思っていました。
皆川様:僕がスキーを始めたのは3歳で、選手を辞めたのは37歳の時です。あの大会は、そうしたスキーヤー生活の中で一番緊張した大会でした。1本目がトップと7/100秒しか差が無かったので、金メダルも視野に入ってきたわけですから。1本目から2本目までは2時間半くらいの待ち時間があり、今思えばその時間は自分にとってすごく貴重な時間でした。控室ではほぼ誰ともしゃべらず、淡々と食べ物を食べたり、脈を測ったりしていました。考える時間はたくさんありましたね。しかしそうなると、ネガティブなことやポジティブなことを交互に延々と考えるわけです。
僕の種目(スラローム)は1分足らずで勝負がついてしまうので、その時間以外はできるだけ集中力を使わないようにしないといけません。つまり、「集中力を使わない」という努力も必要になってきます。例えば、「俺はできる!」みたいなことを考えると、それだけで集中力を使ってしまう。それがもったいないので、なるべくそうしないように時間を使う努力をしていました。
大里:そういう時は何を考えるんですか?
皆川様:僕にとっては音楽がすごく大事で、特にあの時は開会式も閉会式も、アンドレア・ボチェッリというオペラ歌手の歌をずっと聴いていました。彼がイギリスの歌手サラ・ブライトマンとデュエットして爆発的なヒットとなった「Time to say good-bye」のオリジナル曲を聴いていましたね。音楽を聴いていると余計なことを考えなくて済むんです。
ただ、スタート10分前くらいになると、さすがに緊張が高まって来たのを憶えています。2本目の滑走順(タイム順)では僕のうしろに2人しかいないので、彼らを倒せば金メダルを取れる。しかし、その時考えたのは、力むのではなく「80%の力でいい」ということでした。僕は、ものごとは結果としてただ転がり込むだけといつも考えています。だから、わざわざそれを取りに行くのではなく、80%の力で滑って転がり込んだ数字を手に入れればよいと思っていたのです。
大里:トラブルもありつつ、結果として4位入賞を果たしましたね。
皆川様:2本目の滑走は全部で68ターンくらいだったのですが、実は最初の10ターンでバックルが外れてしまったのです。その時は僕自身はバックルが外れたとは思っていなかったんです。でも感覚がおかしいので、攻めどころを1カ所先送りにして、攻めどころを減らしました。そういうことも、ただがむしゃらに滑っていたらできませんよね。8割で滑らないと駆け引きすらできなくなってしまう。そういう意味で、いいレースにできたと思っています。
大里:競技スキーヤーとしての皆川さんのキャリアは、言うまでもなく輝かしいものですが、今回は「ビジネスパーソン皆川」に焦点を当てたいと考えています。まずは、若き日の出会いの中で、今のビジネスキャリアにつながるエピソードがあったらご紹介いただきたいのですが。
皆川様:人生で最初に可愛がってもらったのが、西武鉄道の元オーナーの堤義明さんです。父親がつくったペンションは苗場スキー場(西武鉄道の系列会社が所有)にあったのですが、いつも「堤義明は凄い人」と父から聞かされていました。その堤さんに、偶然にも小学校5~6年生の時にお会いすることができました。僕が苗場スキー場で滑っていた時に知り合いのパトロールの人が、たまたま現地を訪れていた堤さんに「苗場の子供でスキーを頑張っていて、将来オリンピックを目指しているんです」と紹介してくれたんです。さらにその後、日本代表チームに入った中学3年生の時に、あるパーティーで堤さんに再会しご挨拶したところ、「ずいぶん大きくなったね!」と言っていただけました。そんなつながりの中で「堤さんがこのスキー場を作ってくれたからこそ、僕はこのようにして今ここに存在している」という思いが強く僕自身の中に刻まれていきました。
また、中学1~2年生のころに別の出会いもありました。盛田英夫さん(ソニー創業者 盛田昭夫氏の長男)が、「新井リゾート」というスキー場を新潟県妙高市に作るので、スキーヤーの育成財団とともにクラブチームを興すという話が出ました。ちょうどそんな時期に、地元のスキー大会で前走として滑った僕を「この子がいい」とクラブチームの外国人コーチが言ってくれたんです。それから22歳くらいまでチームは僕をずっとサポートし続けてくれました。
さらに盛田さんにはいろんな面でサポートをいただき、今思えば、ビジネスにつながるようなさまざまな経験をさせていただきました。学生服しか着たことのない僕に服をあつらえてくれてパーティーに連れていってくれたり、お金を毎月渡してくれたりしました。「このお金は君のためじゃなくて、人のために使うお金だから、そのように使いなさい」と言われて、小学生のくせにスキー場で友達にご飯をおごったりしましたね(笑)。これも一種、彼の教育だったのだと思います。
大里:皆川さんはビジネスを始めようと思った時、何から手を付け、どんなステップで進めたのでしょうか?
皆川様:皆さんは「フジロックフェスティバル」をご存知でしょうか? 毎年開催されている国内で最大級の野外音楽イベントです。このフェスの生みの親の日高正博さんという方がいつも泊まっていたのが両親が建てた宿でした。フジロックが苗場で毎年成長していく中、彼との親交も深まっていきました。ある日、その日高さんからいきなりイベントで店舗スペースをもらい、これが僕のビジネス経営の始まりでした。
大里:凄いキッカケですね。
皆川様:はい。だからもう、「やるしかない」「やるためにはどうすればいい?」みたいなところから僕のビジネスは始まったんです。しかし、毎年スキー競技のために海外遠征に出てしまうので、最初から「自分1人でやる」という概念でビジネスを考えていませんでした。人に任せることを前提に、「どうやって組み立てるか」から始めました。
フジロックの店舗の経験は、今でもすごく役に立っています。立ち上げ当初、人集めのために友達などに声をかけまくりました。「音楽がタダで聞けるよ」などと甘い言葉で。そうすると確かに人が集まってきます。でも、そうやって集めた人たちは原則、仕事なんてやりたくないわけですから、言われたことしかやらない。そうなると、「なんでこれ片付けてないんだよ」「だって別に言われてないし」みたいなことになってしまうわけです。
そこで、僕は「彼はたぶん5つの仕事は並行してできないから、3工程だけ任せよう」などと考え、従業員それぞれに合ったラインを作ったんです。そうしたところ、次の日から倍以上商品が売れたんですね。それですっかり「面白い!」となりまして、そこからだんだん人の動かし方などを工夫するようになりました。そんなことをスタートアップで学べたのは大変大きかったですね。
大里:現役時代からビジネスを始めていたのですね!
皆川様:選手の中には、現役時代は競技に集中する、という考えの方もいます。しかし、僕は体を休めているときに、頭まで休めなくてもよいと思って、仕事をしていました(笑)競技中心の限られた時間内に何項目も並行して考えていたことは、今の僕につながっています。
大里:今回、弊社スキーチームの米谷に、ぜひ皆川さんのお話を聞かせたく同席してもらったのですが、彼も実は先日、現役選手を引退したばかりで、これからビジネスパーソンとしてセカンドキャリアを歩んでもらいたいと考えています。まだハッキリ将来が分かっているわけではないのですが、それでもなんとなくやりたいことが見えていて、これからそのゴールを明らかにすることと、そこに行くために何が足りていないのか学ぶことが彼の当面の課題だと思っています。
皆川様:そうですね。若い人がいきなり何かを手にすることはできないから、やはりパートナーは必要だと思います。米谷さんにとってのアークのような。パートナーがいなかったら、次に自分がどうなりたいか、会社で何をしたいのか、実際にはよく分かりませんよね。そして、そんな時に「内野にいる」ことはすごく大事なことだと思います。会社の内側にいるからこそビジネスの本質が見えて、それを他人事として否定できない状況になるからです。そして僕たちは、ウィンタースポーツに人生の大半のエネルギーと時間を費やした"雪屋"です。そこで培った知見をセカンドキャリアに活かさなければもったいない。
大里:その通りですね。わたしはアークのような小さな会社だからこそ、トップアスリートを支援するうえで、セカンドキャリアを考えて、彼らにビジネスの世界を見せてあげたいと思っています。スキーチームの選手には、「スキーで学んだことをうちの会社に持ち込んでほしいし、逆にスキー以外で学んだことをスキーに持って行ってもらいたい」といつも言います。そうすることで現役選手は、スキーにも成果が出ると思います。米谷はそうした考えをうまく取り入れてくれた人だと思っています。
米谷については、こんなエピソードもあります。アークが最初に「マイナースポーツのトップアスリートを支援します」と宣言したころ、いろいろなアスリートからお声がけいただきました。わたしは、それに対する返信に、ちょっとしたアドバイスを送るようにしていたんです。ほとんどの方からはお返事が戻ってこないんですが、毎回なんとかそのアドバイスを実現させ、ずっとその後もコンタクトを取り続けてくれたのが米谷でした。
米谷:確かにそうしましたね。大里さんからの問いに答えることが、自分の将来につながる大切なカギのように感じていましたので。皆川さんがおっしゃるように、僕も"雪屋"ですので、自ずと選択肢が決まってくるようなところもあると思います。一般の人たちが見ることができない世界を見てきた自負はありますので、それを何とか社会に役立てたい。それがアークならば実現できる気がしたのです。大里さんのお話を聞いて。
皆川様:米谷さんにはぜひ、"生産力"を身につけてほしいと思います。僕が言う"生産力"とは、"成果やお金を生み出す力"のこと。今のビジネスパーソンとしてのキミは、人からサポートしてもらって、大里さんの力を借りて仕事をしているレベルでしょう。それを逆転させて、キミが他人の"生産力"を上げられるようにならなくちゃいけない。大里さんやアークに利益をもたらせる人物になるように努力しようということです。
米谷:はい、ありがとうございます。今回、翻訳サービスのマーケティング担当となりましたので、売上を倍増できるように頑張ります!
大里:皆川さん、アークと米谷にエールをありがとうございました。今日は長時間のインタビューに応じていただき、本当に感謝しています。
funNOTE更新情報
ニュースレターのご案内
アークコミュニケーションズでは、Web制作・翻訳などの旬な話題から、スタッフ紹介まで「アークコミュニケーションズの今」をfunNOTEという形で、年2回(夏・冬)皆さまにお届けしています。
本サイト(www.arc-c.jp)は、快適にご利用いただくためにクッキー(Cookie)を使用しております。
Cookieの使用に同意いただける場合は「同意する」ボタンを押してください。
なお本サイトのCookie使用については、「プライバシーポリシー」をご覧ください。