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ビジネス書翻訳のプロフェッショナルに聞く
ビジネス書の翻訳者として大活躍中の有賀裕子さん。その訳書は60冊以上を数えます。
30代で独立し翻訳者を目指したとき、最初の仕事はアークコミュニケーションズからの依頼でした。以来、弊社代表・大里真理子とは、公私ともに信頼関係を保ち続けています。
ビジネス翻訳を手掛けるときに重要なこと、仕事に臨むプロとしての姿勢を、大里がうかがいました。翻訳者に求められるのは、
顧客のニーズに応える姿勢大里:有賀さんは大手通信会社の勤務をスパッと辞めて翻訳者に転身したわけですが、よくそんな大きな決断ができましたね。
有賀:何年かやってみて、ずっと会社員を続ける自分がイメージできなくなったのですよね。会社では2~3年おきに異動があって、そのたびに違う仕事を与えられたわけですが、私は、そのすべてを一生懸命やるのは無理だと感じました。「一生懸命やろう」と思える仕事だけをしたかったのです。それと、自分には大きな組織で働くよりも、一人でコツコツやる仕事が向いている気がしていました。
大里:会社からは引き止められたのではないですか? 実は、私も「出版翻訳で食べていけるのは、ごく一部だよ」と諭しましたが(笑)
有賀:'98年といえば、私のいた業界はとても景気が良かったですし、周囲からは強く反対されました。何しろ、まったく実績のないことを始めようとしていたわけですから。
大里:ちょうどアークコミュニケーションズの前身のアイディーエスがスタートし、私たちも翻訳ビジネスをどう立ち上げたらいいか模索しているときでした。
有賀:知人の紹介で、大里さんから最初の仕事をいただきました。お互いに新しいことを始めたばかりでしたから、今振り返ってもとても幸運なタイミングだったと思います。
大里:よく夜遅くまで、ミーティングをしましたね(笑)
有賀:そうでしたね。今とはまた違った熱気や一体感がありました。そうした経験を共有しているから、大里さんは仕事で迷いがある時の貴重な相談相手です。性格が違うので、このあいだも思ってもいなかった意見をもらい、大里さんへの電話一本で迷路から抜け出せました。
大里:有賀さんは、今ではもうビジネス書の翻訳者の第一人者と言っていい、と思うんですが、ダイヤモンド社の「ハーバード・ビジネス・レビュー」はじめ、出版翻訳を多く手掛けていらっしゃいます。訳書は何冊くらいになりましたか?
有賀: 2000年にダイヤモンド社から出版された『戦略の原理』が最初の訳書です。気がついたら、訳書は60冊を超えていました。
大里:すごい数ですね。最初からビジネス書が専門だったのですか?
有賀:当初はIT関連が多かったですね。前職の経験から、ITには関心があったので。アークからの仕事も、最初はITが多かったと記憶しています。その後、顧客とのめぐりあわせでビジネス関連が増えていきました。
大里:翻訳者にもっとも求められる心がけは何ですか?
有賀:まずは顧客について、どのような会社で、何を求めているかを十分に知ることです。次に、翻訳する文書の用途や対象読者も確かめなくては。それをつかまないとよい仕事はできませんよね。それから、原文をよく見て、どれだけの時間があればきちんと仕上げられるか、しっかり見積もることです。たとえ同じ分野の同じ量の原文であっても、ものによって文章の癖、調べものの量、専門性の度合いなどが異なれば、当然、訳すのにかかる時間にも大きな開きが出ますから、その見通しが甘かったせいで顧客に迷惑をかけてしまってはいけないでしょう。
大里:顧客あっての私たちですものね。当り前のようですが、実はこれをいつも気にしてくれる翻訳者さんって意外に少ないかもしれません。
有賀:翻訳の仕事というのは、職人的な仕事だと思います。最近も本を読んでいたら、ある職人的な仕事について、「(傍からは)単調で退屈だと思えることをどれだけ繰り返せるかが成功の秘訣だ」と書いてあって、「なるほど」と思いました。翻訳者の日常も、PCに向かってひたすらキーボードを打ちながら原文を訳していく作業の繰り返しなのです。大切なのは、どう惰性に陥らずにいつも同じレベルのアウトプットを目指すかですよね。その時々で仕上がりにバラツキがあっては、顧客の信頼は得られませんから。
大里:普通の人は波があるものでしょ(笑)
有賀:機械ではなく人間ですから、当然、好不調はあります。たとえば暑さに弱い私にとって、日本の夏は鬼門です。ただ、そういったものを乗り越えて、アウトプットはできるかぎり均質に持っていかなくてはいけない、ということです。
大里:そうか、アウトプットにバラツキがないということですね。確かに有賀さんの仕事は、仕上がりにバラツキがありませんね。
アークの翻訳事業に伝わる
有賀DNA大里:『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』の編集の方に有賀評を聞いてみたところ、「とにかく日本語がうまい」というコメントをいただきました。そして、その秘密を分析すると、「語彙力」「知識力」「全体を見通す力」の3点が挙がりました。言い換えれば、「適切な表現を選ぶ能力がある」ということですね。
有賀:同じ単語や表現をいつも同じように訳せばいいなら、翻訳ソフトで十分でしょう。なぜ人間が翻訳するのかと考えれば、「適切な表現を選ぶ」という努力が重要になってきますね。英和辞典や国語辞典だけでなく、類語辞典、英英辞典を引くと有益だと思います。特に英英辞典は、原語の意味を文章で説明してあるので、それを読むと一瞬にして疑問が氷解して訳語が思い浮かぶことが多いですね。これに対して英和辞典というのは、おおよその意味を手っ取り早く知るにはとても便利ですが、微妙なニュアンスや類語との違いまで伝えることを目的とはしていないでしょう。
大里:その豊富な語彙力というのは、どうやって身につけられたのですか?
有賀:うーん、小さい頃から、本でもマンガでも、気に入ったものばかりを何度も読む癖があって、印象に残った言葉とかフレーズがあると、忘れたくないから線を引いたりしていましたね。そうこうしているうちに、少女マンガのセリフとかたくさん覚えてしまって(笑)。小学生にとっては、世の中知らない言葉だらけですから、新鮮な出会いが楽しかったのでしょうね。今でも、歌詞なども含めて、「素敵だな」と思う言葉やフレーズに接するとメモしたりしますが、これはもう仕事うんぬんというより趣味の世界かも……(苦笑)。
大里:翻訳者を志す人に、伝えたいことってありますか?
有賀:そうですね、「文は人なり」と言いますが、「心を込めて丁寧に訳そうとしたものかどうか」という点がいちばん大切ではないでしょうか。この違いは読み手に確実に伝わるのではないかと思います。
大里:それは、英語力や専門知識とは違うのですね?
有賀:ええ。すでに翻訳経験のある方、専門知識をお持ちの方、外資系企業で日常的に外国語を使っている方などもいらっしゃると思いますが、それらの経験や知識は、読み手を意識して丁寧に文章をつくろうとして初めて生きるのではないでしょうか。もちろん、英語力や日本語力も大切ではありますが、意識や姿勢の持つ意味はとても大きいと思います。
大里:アークが翻訳事業を始めたころ、有賀さんには、特に大規模プロジェクトの品質管理をどうすべきか、というところで多くの知恵をいただきました。翻訳用語集の監修やサンプル翻訳、翻訳後のフィードバック、翻訳品質責任は翻訳者に持ってもらうなど、それがトータルでの品質管理に大いに役立ちました。
有賀:当時は経験が浅かった分、業界常識に捉われずに、「こういう方法がよいのではないか」と意見をぶつけ合っていましたが、それがかえってよかった面もあるかもしれませんね。
大里:実際に、翻訳者の仕事をチェックして修正を依頼するチェッカーとしても活躍してもらっていましたよね。あの頃の有賀さんにいただいたノウハウが、現在の弊社のクオリティを支えるベースになっていると言っても過言ではありません。有賀さんのDNAが伝わっている、と私は思っています。
有賀:顧客はもちろん、社内のスタッフや翻訳者からのフィードバックも大切ですね。
大里:有賀さんと話していると、常に「顧客」という言葉が出てきますよね。私たちは、企業から仕事をいただいて翻訳しているわけですから、有賀さんが常に念頭におかれているクライアントニーズにしっかりと応える必要があります。これからも、この原点を大切にしていきます。今日はありがとうございました。
有賀裕子
翻訳者
東京都出身。東京大学法学部卒業。ロンドン・ビジネススクールでMBA取得。1998年に翻訳者として独立。『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』(ダイヤモンド社)はじめ、単行本など出版翻訳を専門とする。 -
バックナンバー
- ビジネス書翻訳のプロフェッショナルに聞く(2012年冬号)
- アビタスが次に考える、グローバル人材[英語版](2012年夏号)
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