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社員インタビュー 本田和利
多言語翻訳の実績は40言語以上。おかげさまで「多言語に強い翻訳会社といえばアークコミュニケーションズ」との定評をいただくようになっております。
しかし、アークの翻訳サービスも最初から多言語を強みとしていたわけではありません。
翻訳事業部長の本田が、日英翻訳を強化するところから、アークの多言語翻訳会社への歩みははじまりました。今回は、前職で携わっていたローカライズの黎明期の話から、多言語翻訳をはじめ、現在のアークの翻訳サービスの基礎を作ってきた話を聞きました。翻訳との出会いはOS/2日本語版の開発マネージャー時代
インド出張、いかがでしたか?
出発前日のストによる欠航からはじまり、アクシデントも多々ありましたが、有意義な出張でした!
今後は、多言語翻訳に力を入れるため、どんどん海外に出ていくと聞いています。今日は、翻訳会社としてそのような戦略を取るに至った道筋や、そこで本田さんの果たされた役割などについて、聞いていきたいと思います。
まずはこれまでの経験、翻訳ビジネスとの出会いについて、教えてください。日本IBMでの20年間に、ローカライズを担当していたのが、私の翻訳との最初のかかわりです。
新卒で日本の大手電機メーカーに入社したのですが、転職をしまして、20代半ば~30代半ばの10年間、日本IBMでOS/2の日本語ローカライズを担当していました。OS/2 って何ですか?
OS/2とは、IBMとマイクロソフトが共同開発したPC用の初めてのマルチタスクOSです。
アメリカで開発されたもので、今のように世界各国で流通することが前提に開発されていないために日本語版を作る苦労は、たくさんありました。
たとえば、英語1文字は1バイト(8bit)ですが、日本語は1文字2バイト(16bit)必要とする言語です。OS/2のオリジナルはもちろん全て英語のため、翻訳した文字に置き換える以前に、2バイトの文字を扱えるようにソフトウェアそのものを変更する必要がありました。また、「罫線」という、英語にはない機能を新たに付け加えたりもしたんですよ。当時のローカライズは、文字を置き換えるというより、日本語用に一から作り直す、という感覚でした。当時のローカライズは、翻訳ではなくて、開発に近かったんですね。
そうですね。日本IBMでの20年間は、いきなり3ヶ月間、海外勤務で英語しか話せない環境に放り込まれたり、いろいろなことがありました。入社時は関西に勤務する関西人だったのが、転勤で関東にやってきて、ずっとこちらにいるようにもなりました。
若いころに覚えた行き当たりばったりの英語は、今も変わらず、仕事で役に立っていますよ!(笑)。MLV(マルチ・ランゲージ・ベンダー、多言語翻訳会社)で日本語制作PMを
IBMの後、大手MLVに転職をされたそうですが、そもそもMLVとは、どんな企業なんでしょうか?
PCやソフトウェアが世界各国で流通するようになり、ローカライズの需要が高まると共に、ソフトウェアから言語の部分だけを比較的容易に取り出して翻訳できる仕様になってきました。これらのローカライズを得意としたのが、グローバル展開する大手MLV(マルチ・ランゲージ・ベンダー)でした。大手MLVは、世界各国の翻訳会社を買収して拡大していきました。私は、IBM時代のローカライズの経験を活かし、異業種ではありましたが、大手外資系のMLVに転職し、日本語翻訳の制作マネージャーを担当しました。
当時のチームは、PMが10人に、DTP、チェッカー、リンギストと大所帯でしたね。当時の案件は、ほとんどがUS本部からの和訳で、多くはありませんが他の企業からの依頼も受けていました。
この後、アークへ転職されるのですね。
はい。MLVの変化は本当に激しく、私の在席していたMLVもまた買収されることになり、次に転職したのがアークでした。
私が入社当初、アークの翻訳は、9割くらいが和訳でした。
それまで日英翻訳を中心にしていたこともあり、入社して、日英翻訳をビジネスのひとつの柱として育てていくことになります。
まずはネイティブ翻訳者を増やすところから始めたのですが、現在は、英日より日英翻訳の案件の方が数は多いくらいです。今では、ネイティブの日英翻訳者の豊富さがアークの翻訳サービスの強みになっています。また、英語以外にも、中国語、ロシア語、フランス語、イタリア語、タイ語などの翻訳者さんも登録してくださっています。近年は、多言語翻訳に力を入れていますが。
はい。多言語翻訳の実績もだいぶ増えてきました。
私たちの会社の規模では、多言語翻訳のために、自社ですべての言語の部門を持つことはできないので、必要に応じて世界各地のパートナー企業を開拓し、ともに仕事を進めていく必要があります。最初は、中国語から開拓していきました。このため上海にも出張で何度か行きましたね。
今では、40ヶ国語以上の多言語翻訳に対応できるようになっていますが、アジア系言語、ヨーロッパ系言語、それぞれに強い何社かのパートナー企業と協力してよい仕事ができるようになるまでには、振り返ると、それなりに時間がかかりました。パートナー開拓はどのように行うのですか?
まずは、トライアルをお願いし、合格したパートナー様とお付き合いをするのがひとつの基準です。
しかしトライアルをしても、仕事をすると互いの認識の違いなど、色々な問題が必ず発生します。その際に、こちらの要求に耳を傾け、理解しよう、対応しようとしてくれるパートナー様とは、経験やノウハウが互いに蓄積されます。こうして付き合ってくださるパートナー様には、日本の翻訳会社の求める品質について、他社より理解が深くなり、その後、よい仕事ができるようになります。
海外のパートナーはこの関係を築けるかということが、難しく苦労するところです。
最初から、完成された理想的なパートナーが存在しているわけではなく、付き合っていく中で成長していきます。パートナー開拓は、常日頃から仕事を通して、各PMが根気強く努力している成果だと思います。海外で日本の元気な企業と出会う
本田さん自身がグローバル人材として海外に出て、開拓も行っているんですね。
現在、お付き合いのあるMLVは、世界で20社ほどなのですが、うち半数がアジアにあります。
今後、アジア系言語にさらに力を入れ事業を拡大していくためには、実際に会いに行くということはやはり大切です。また、日本から発信する機会も量も増えつつあり、日英翻訳、多言語翻訳などの私たちの仕事のチャンスも増えてきていると思います。ただ、そのような、海外への発信が多い元気な日本の企業がどこであるかを知るのは、日本にいては限界があると考えています。
日本国内では知名度の低い企業が実は、海外で大きく展開していたりします。そのような企業の方達と知り合うためにも、今、積極的に海外へ行っています。なるほど。では、今後の展開を楽しみにしています。
はい。日本から世界へ発信する元気な日本企業のために、力になりたいと思いますし、私たちのビジネスもさらに多言語翻訳の扱いを増やし、同時に大きくしていきたいと思います。
ありがとうございました。
インタビューを終えて
社内では仕事の話よりも、山菜摘みや発酵食品づくりの話が印象的な、好々爺然とした事業部長の本田ですが、実は英語での交渉も得意とするグローバル人材です。ただ、英語で話しているのか日本語で話しているのか区別がつかないほど、口調も発音も態度も同じ。野生の勘で、危険を察知し、くぐりぬけるサバイバル術で世界をまたにかけているのだとか。「天災や火事のときは、本田さんの後についていけば大丈夫!」が、代表大里の言葉です。
- Profile
- 本田和利(ほんだ・かずとし)
- 1947年生まれ。富士通、日本IBM、ベルリッツ・ジャパン等を経てアークコミュニケーションズへ。
- プログラマ、ローカライズプロジェクトマネージャー、グローバルな翻訳会社での多言語翻訳PMを 経験、アークコミュニケーションズの多言語展開を積極的に推進。趣味は発酵食品づくり、山菜摘み、海外旅行。
- 私の1本の映画
- 山本薩夫監督『白い巨塔』(1966, 日本)
- 小説、ドラマも有名ですが、田宮二郎主演の映画がいまも印象に残っています。最初のシーンが手術で、人間の臓器のカットから始まるんですよ!もちろん、その後、そのようなシーンは見たことがありません。サスペンスタッチで、人間ドラマの部分も見ごたえがあり、強く引き込まれた作品です。
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