未だに夏休みが来ません。こんばんわ。Hossyです。
今日はちょっとまじめなお仕事のお話。
以前大恩ある翻訳者様(すべての方から大恩を賜っておりますが)から「Arcさんからはお仕事と共に愛をいただいているから」と言っていただいたことがあります。さりげない会話でしたが、その時はえらく恐縮したのを覚えています。実は何について「愛」と受け取っていただけているのかピンときてなくて未だにぼんやりしてるんですが。
私がプロジェクトを管理する際にいつも考えていることは「作業担当の方がこのプロジェクトが好きそうか、嫌そうか」ということ。もちろん嫌そうなプロジェクトでも泣きついてしまうことは多いのですが、感情的な所がクリアできれば作業進捗が大幅に効率化されることが往々にしてある、と思っています。できるかぎりすっきりお仕事していただきたいなと。
仲介人である以上、感情的な部分を考慮し間に立つ必要があり、無理なことも言ったり言われたりでバランスが取れるよう努めているつもりです。当然ですがものすんごい気を使っています。それを例えて「愛」と呼ぶのであればそうなのかもしれません。単につたないハンドリングで哀れみを買っているだけという可能性もありますが。
情報や知識が氾濫している昨今、スケジュール管理手法や作業手法、考え方のマッピング方法など色々体系化された手法はありますが、私がやると小手先でこねくり回してしまうようなところがあったりなかったりであんまりうまくいかないことが多いんすね。泥臭いけどない知恵絞って歯を食いしばって懊悩して脳みそにしこたま汗をかくということが一番重要なのではないかと。それしかできないんですが。とにかく必死感は誰に対しても必ず伝わるもんだろうと思っとります。結論、「愛」とは必死であることですかね。